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「バカな奴」とは何か 自分と他人を俯瞰する

人様をバカ呼ばわりするのは大変不遜な事だけれど、

それでも「なんであんなにバカなんだ」と思ってしまう事は、実際には多いものだ。


人間で一番バカなのは20代の男なのだそうだ。

いや、誰が言ったのか知らないし本当かどうかも知らない。

けれど、そうだよなぁ、と深く同意するのだ。

なんであんなにバカなんだろうと思う。

じゃあ自分はどうだっただろうか、と考えて見る。

20代の時の自分はどうだったか、、、、。

そうか、やっぱり大バカだったと思い当たる。

「なんも考えてない」というやつだ。

なんでそんな事しちゃうんだろうという様な事をやるのだ。

なんでそんな事をするのか、本人にも解っていなかったりする。

確かに大バカだ、、、。

まあとりあえず、20代の男かどうかは別として、大バカとはなんだろうか、

と考えて見る。


自分は毎日片道5キロの自転車移動をしている。

毎日自転車に乗っていると、「あぶねぇなぁ」と思う色々な場面を見る。

特に良く見るのは2種類だ。

まずおばさん達。どうして左右を見ないで飛び出せるのか不思議で仕方が無い。

細い路地から広い道路に飛び出して来るのだが、一切左右確認もせず、

スピードも落とさず突っ込んで来る人がとても多く、その多くがおばさん達だ。

これは多分女性は空間認識能力が高くないなどと言われる事と関係が有る

のではないか、と推測する。

自分が行きたい方角だけしか見ていないのだ、自分の位置を俯瞰出来ていないのだ。

物理的にも精神的にも、自分の目線だけでものを見たり考えたりする、

という特徴なのだと思う。

全体を俯瞰出来ていれば左右からクルマが来るかもしれないと思うだろうから、

左右を確認したり速度を落としたりするだろう。



もう一つは真っ暗な夜の道路で無灯火で走る自転車なのだが、これがどういう訳か、

その殆どが若い男なのだ。

何故か若い男ばかりなのだ。

暗い道で無灯火で走れるというのは、相手から見て自分がどう見えるか、

を考えていないという事ではないだろうか。

暗い道で無灯火で走って居たら、対向車から自分が見えないのではないか、

という心配をしない、という事ではなかろうか。

或いは自分はここに居るのだから相手も自分がここに居る事を知っているだろう、

と思い込んでいる、という事かもしれない。

もっとひどいのになると、無灯火でヘッドホンをしてスマホを見ながら、

というのが有る。

同じスマホを見ながらであっても、ちらちら前方を確認しながら、という人も居れば、

スマホに集中してしまってかなりの距離を前方を確認しないまま、というのも居る。

そしてそのまま思い切りクルマや人にぶつかるのだ、、、、。

歩きスマホもそうだが、人には能力差というものが有るので、

他人がやっているからと言って自分もやってしまうのだろうが、

きちんと前方確認出来る人と出来ない人が居るのは認識しておくべきだ。

無灯火、ヘッドホン、スマホ、の状態で人間に当って死亡事故を起こした高校生

のニュースを見た事が有るが、だよなぁ、と思ってしまった。

ぶつかる相手が年寄りなどだと、受け身が出来ずに直に道路に頭をぶつけて死亡

してしまう、という事が多い様だ。

以前、若い女性が自転車に乗りながら片手にスマホ、片手にコーヒーを持っていて、

老婆にぶつかってやはり死亡事故を起こしたというニュースも見た事が有る。

コーヒーとスマホって、いくらなんでも緊張感無さすぎだろう。

本当に気を付けて欲しい。



ということで、相手から自分がどう見えるか、という事を考えない、

或いは相手が居る事すら考えない、相手が居ても自分を認めていると思っている、

というところが「大バカ」なのだろうと思うのだ。

これは例えば服装とか髪型とか態度とか、色々な事について言える事だ。

自分ではカッコいいと思っているから相手もそう思うだろうと思っている、とか、

或いは相手が見てどう思うかは全く考えていない、という事なのだろう。

これは考えて見ると、世の中にたくさん居る「バカな奴」に共通している事

なのではないだろうか。

相手がどう思うか、を考えないというのが「バカ」という事なのだろう。

そう言えば最近新しい内閣の集合写真が話題になった。

「だらし内閣」などと言われてしまった。

よくもまあ、あそこまでだらしない恰好をするものだ。

これは要するに人間性が外見に表れているという事なのだと思うのだ。

一般人も有る程度身なりには気を付けないといけないし、

気を付けようと思うか思わないかが、だらしないかそうではないかの

境目になるのではないだろうか。

人を見た目で判断してはいけない、などと言うけれど、

他人から見てどう見えるか考えている人とそうでない人は

やっぱり違うのだろうと思う。

別に高級な服を着なくても良いので、ある程度小ぎれいにしておくべきで、

特にこれは年配の人に言える事ではないだろうか。

科学者の武田邦彦先生は80歳くらいだが、先生が言っていた。

白髪が出たらちゃんと染めて、身なりも有る程度きちんとしていないとダメだ、と。

まあ白髪は染めなくても白髪を生かしたファッションならそれでも良いが。

そういう訳で自分は全然おしゃれではないのだけれど、この年齢になってもまだ、

一応外見には気を使ったりしている。


若い子が年寄りから「そんな恰好をして態度が悪い」などと言われ、

「っるせーなー」と思うというのは多くの人が経験した事が有ると思う。

若い時は「っるせーなー」としか思わないのだが、経験を重ねればある程度、

年寄りの言う事も一部だけでも解る様になるだろう。


そう言えば昔、カラテキッドとか言う映画が有った。

空手を教えて貰いたい少年が習いに行くのだが、毎日掃除ばかりさせられる。

一体いつになったら空手を教えてくれるのか、と不満を持つ。

けれど、掃除の動作ひとつひとつが実は空手の練習になっていた、というオチだ。

なので若い人間は年寄りから小言を言われた時には、「っるせーなー」ではなく、

もう少し先まで考えられる様になるのも修行の一つだろうと思う。

逆に、年寄りのほうも気を付けなければいけない。

いい歳をして感情に任せて怒ってしまったりする様な年寄りになってはいけない。

で、これも結局は自分と他人との関係の話、という事になる。

ということで、「バカな奴」にならない為には、

他人や社会との関係を考える必要が有る、という、

なんだか当たり前すぎる様な結論になる訳だ。

これは要するに俯瞰できるかどうか、という事なのだろう。

若い人も、年とった人も、自分を俯瞰して、他人との関係を考えて、

「バカな奴」にならないように気を付けたいものですね。

こういう話をする時は自分の事は棚に上げないと出来ないので、

これを書いた後、じっくり反省タイムにしたいと思います。


ところで、「バカ」と言うよりは「アホ」のほうが表現が柔らかいかもですね。





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