#012 「幸福学」をテーマにしたアーサーブルックス教授の回答が秀逸だった(3/3)
について紹介する第三弾です!第一弾と第二弾はこちら。
Q:どうすれば氏に対する不安を拭い去ることができる?
ミャンマーでは、僧侶が死体の写真を見て「これは私だ」と認識する死念という慣習があるそうです。自分の死という非現実的な体験に慣れるために行っているです。慣れることによって死の不安を乗り越えることができる、ということでした。
今回の動画では1分少々でこの壮大なテーマに回答しているので説明不足感は否めませんが、「死の不安についてどう拭い去っているのか」「拭い去ることがそもそも正しいのか」「死の不安があること自体は生き物である以上普通のことなのではないのか」など様々なことを考えさせられた問いでした。
Q:今を生きるとはどういうことか?
30~50%の人は、未来のことについてずっと考えています。ずっと未来のことを考えているのです。旅行の時も、写真をたくさん撮ることで未来の自分のために残しておこうと考えます。それは間違いです。なぜかというと、写真は「未来の自分が現在にタイムスリップした時のために今がある」と考えているからです。「今を生きる」とは、そういうことではありません。
まず、ティク・ナット・ハンの「〈気付き〉の軌跡」を読むべきだとアーサー教授は語ります。「今を生きること」について思想が深まるでしょうとのことでした。
Q:知恵(wisdom)の定義は?
問題解決能力、革新力、集中力、作業記憶のピークは30代後半
結晶性知性のピークは80代でも高いまま(wisdom curve)
知恵の本質は、
教育と指導
チームの統率
パターンの認識
物事の本質を把握すること
歳を重ねるたびに知恵は増えていきます。とのこと。なるほど。
アーサー・ブルックス教授問答まとめ
今回のインタビューで新しい学びだったのは、「満足度の定式」。
自分の人生を振り返ってみても、「欲しいものがたくさんあった時代」と「ある程度揃ってきて今あるもので満足している時代」があり、当時の感情面でも欲しいものがたくさんあった時の方が現状に満足できていなかった認識があります。
一方で、「不満」は行動への活力にもなるので、「欲しいものがたくさんあること」自体は悪くないように思います。無理にでも自分に喝を入れて、「自分はこういうことがしたいんだ。そのためには資金が足りない」と奮い立たせて、がむしゃらに追い求めることは大切だと思います。
「今あるもので満足している」というのは一見幸福そうに見えますが、「現状から変化しないことを望む」という性質を持ち、ずっとこのままであることを良しとします。また、人間には「満足している部分」と「満足していない部分」が常に混在していて、100%全てに満足している状態はありえないです。「今あるもので満足している」と宣言することは、そういった負の部分に目を瞑って、「(大方)満足している」と決断しているのです。
一方で、「今あるもので満足していない」というのは満足できていない現状に怖がらずに目を向けている点が評価できます。「何か自分のこの現状を変えたい」という変革の種がある状態で、失敗するリスクもありますが面白い方向に転ぶ可能性を秘めています。
「今あるもので満足している」「今あるもので満足していない」かどうかは、自分で決めることであって、どちらかを選択したからといってそれが正解ではないはずです。
処方箋
自分がこの頃不幸だと感じているのであれば、「今ある良いものに目を向けて欲しいものは一旦忘れる」ことでアーサー教授式の方程式では、分子が大きくなり、満足度が高まります。
逆に、現状で満足している期間が長い人は、「欲しいもの」に目を向けて意図的に満足度を下げるという荒療治をするのも手段かもしれません。そうすれば、今までからワンランク上のステージ、もしくは全くあたらしい世界の入り口が何か見えてくるかもしれません。
哲学的な話になってしまいましたがアーサー教授の質問コーナーを見た所感は以上です。
おしまい。