ああ義務教育よありがとう、文化的な部分の味見を全方位でさせてくれて。
最近、お絵描きの話ばかりするだろう、そして今日のはそことはあまり関係がないが先に理由だけ申し述べれば、油彩をはじめてとても楽しいからだ。楽しい間はずっと油絵の話をするぞ覚悟せい今回は違うけど。4ツイート分くらい。
第一部(三部構成)
小学生時代の家庭科で裁縫セットを買わされた。エプロンも作り刺繍のやり方も教えてもろうた。書道セットも買わされた。墨の磨り方も教わった。木彫り版画も教わった。中学になると音楽の時間、各ジャンル満遍なく音楽を聞かせられ、楽譜の読み方、作曲の仕方まで教わった。ああ義務教育よありがとう。文化的な部分の味見を全方位でしてくれたな。感謝しているぞ。
小学校時代の鉄棒逆上がりや徒競走タイムの記憶を思い出しては嫌がる自称インテリどもよ、あれも文化的教養の範囲だ。つまみ食いさせてもらってたことをありがたく思え。大人になってから使わないとか言い出したら踏んづけてやる。
同じように英単語暗記文法暗記、分数の掛け算割り算、相似証明、因数分解を嫌な記憶としている連中も同じ気分だろうに。僕か?僕はウルトラスーパー小学生(←絶対にクリックすること)そういう星のもとに生まれたサッカーだってドッジボールだって僕が入れば勝ったも同じレベルだったのでそういうのはないんだ。
第二部
そんな中で高校時代、美術を選択した私は油彩セットを買わされた。木箱に入った、これだけあれば、すぐなんでもできますレベルの中身の木箱だ。そのお絵描き再開によって数十年ぶりに開けられたその油彩セットには、当時、片付けもしないで絵の具そのままにして固まってしまってとれなくなったパレットが入っていた。
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第三部
で、油彩を再開するにあたり、このパレットさえも使わず、パレット代わりにホームセンターで買うてきた端材のベニヤ合板をこの前まで使っていた。肝油の空き缶の絵は全部、端材の板をパレット兼卓上イーゼルとして描かれたものだ。何度も繰り返し使った。きれいに後始末の掃除までしていた。やっぱパレットの方がいいな、とちょっと前に思った。私は上記のじゃない、きれいなパレットを数枚所有している。古道具屋巡回で集めたものだ。それがあるのに、ホームセンターの端材を使い、上記の汚れて落ちないパレットを使っていた。本物のケチだなと自慢できる。もう、そういう生き方はやめるのだ、と去年思ってたのに。
昨夜、新同のパレットをおろした。とても心地よい。使いもせずにただの保管者として一生を終えずによかった。がしがし使ってやろう。