32歳になった僕はバンプオブチキンを聴かなくなった

人間という仕事を 与えられて どれくらいだ

BUMP OF CHICKENの「ギルド」という曲がある。
この歌詞は、その一部だ。

思い返せば、僕がこのバンドに出会ったのは中学生のころだった。当時は、スマホなんてものはなく、音楽が聴きたくなったらCDを買うか、近所のTSUTAYAでレンタルするしかなかった。そんなとき、兄の友人が僕に当時のヒットソングを集めたCDをプレゼントしてくれた。中にどんな曲が入っていたのかは正直あまり覚えていない。ただ1つハッキリと覚えていることがある。「ハルジオン」というBUMP OF CHICKENの曲があったのだ。

虹を作ってた 手を伸ばしたら 消えてった
名前があったなぁ 白くて 背の高い花

そこまで強く惹かれなかったはずだが、聴いているうちになぜかその2つのフレーズが頭に残った。「ほかの曲も聴いてみるか…」気づくとTSUTAYAで「天体観測」を借りていた。当時はヒットソングの1つぐらいにしか思っていなかったが、これまた気づくとこの1曲朝から晩までリピートしていた。それでも、そんなにバンドのことが好きになったという実感はなかった。

兄に「どの曲もサビの盛り上がりはそんなにないけど、良い感じ。平均点が高い。」と、なんだか知った風のコメントをしたことを覚えている。恥ずかしい。

その後は、「まあ一応ね…」と軽い気持ちで「THE LIVING DEAD」と「FLAME VEIN」をTSUTAYAで借りた。そして――。

ドはまりした。

見事にハマった。この2枚のアルバムは私の中学校生活を彩ることになった。特に覚えているのは家族で田舎に帰るときの車の中のことだ。当時は酔うので車に乗るのが嫌いだったが、この2枚のアルバムは目をつむったままの僕を物語に浸らせてくれた。ポータブルMDプレイヤーから伸びるイヤホンを耳にぶちこんで4時間聴き続けた。

余談になるが「THE LIVING DEAD」を青のMDに、「FLAME VEIN」を赤のMDに録音していたせいで、当時から15年以上経った今でもこの2枚のアルバムのイメージカラーは青と赤である。

それから、BUMP OF CHICKENは僕の生活の中心になった。
「Stage of the ground」を、部屋で大の字に寝ころびながら聴いた。「sailing day」を、高校の入学式の朝、ワクワクしながら正門を通り抜けながら聴いた。「オンリーロンリーグローリー」を、FM802で初解禁の日にデッキの録音ボタンを押して聴いた。「車輪の唄」を、坂道を駆け上がり心臓バクバク言わせながら聴いた。「プラネタリウム」を、高校3年生の夏、閉め切った真っ暗の部屋でダラダラ汗を流しながら聞いた。そして、

大人になった僕はバンプオブチキンを聴かなくなった。

なぜかはわからない。

正確に言うと今も聴くことはある。新しいアルバムが発売されたら購入する。でも、当時のようには聴かなくなった。

人間という仕事を 与えられて どれくらいだ

今日、なんの気なしに「ギルド」を聴いてみた。冒頭で取り上げた曲だ。久しぶりに歌詞を耳にしてハッとした。歌詞自体にではない。

僕は高校生の時、『生きること全て』をテーマにして音楽を聴いていたことを思い出したのだ。

今、32歳の僕は『仕事』と『家族』と『趣味』を生きている。それらを集めたものが僕の生活だ。それぞれはとても充実しているし何の不満もない。周りの人に認められる仕事もできるようになってきたし、もうすぐ4歳になる娘は信じられないほどかわいいし、趣味も夢中になれるものばかりだ。

だけど、そういったこと全部をひっくるめた『生きること全て』について考える機会がすごく少なくなってしまったような気がする。時間がないのかもしれない。

そんな日々の中、今の僕は知らず知らずのうちに『仕事』や『趣味』を生きる自分を震え立たせるために音楽を聴くようになっていたのだろう、と気づいた。きっとそれは悪いことではない。生きていく上で必要なことなのかもしれない。

でも、今の僕はもう一度、高校生の僕が見ていたように世界を見てみたいと思ってしまった。恋愛も友人関係もごちゃまぜにして感情を動かしていたあの頃のように。「ギルド」を聴いてそう思った。単なるノスタルジーかもしれないし、青春のまねごとかもしれない。間違っているかもしれない。それでも

汚れちゃったのはどっちだ 世界か自分の方か

32歳がそろそろ終わる僕はまたバンプオブチキンを聴いてみようと思った。

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