日本人が政治宗教を語らない理由/ゴルゴメソッド!
(1400文字)
日本人は政治と宗教について語るのが苦手だと言われる。
結論を先取りすれば、
神武以来、
日本人は政治宗教について語る必要がなかった。
だから、政治宗教を語らないのだ。
文字秩序の国 日本
日本の文字には意味が込められている。
例えば、「優」。
「優」という漢字は「人+ 一 +自+友」。
つまり、人が自分と友を一にしている状態を優しいというのだ。
相手のことを自分のことのように想う姿勢、それが「優しい」。
この優しいという価値観が、文字によって日本人全体に共有されている。
価値観が一致してはじめて秩序が生まれる。
これを文字秩序という。
日本には文字秩序がある。
宗教秩序の国 欧米
他方、欧米の文字には意味が込められていない。
例えば、「friendly」。
どうにも分解の使用がない。
アルファベットにはどうやら意味が含まれていないようだ。
いわゆる音だけで意味が抜け落ちた表音文字である。
この表音文字の集合である単語「friendly」とにらめっこしていても埒があかない。
つまりアルファベットを用いる欧米においては、文字による価値観の一致とその先にある秩序は永遠に訪れない。
そこで欧米では「カミ」を用い、カミに命令させる形で価値観と秩序を作ったのだ。
汝っ!、隣人を愛せよっ!
カミを唯一絶対的な地位に据え置き、
「汝、隣人を愛せよ」と命令させる。
こうして、他人様を大切にする姿勢を刷り込む。
価値観の一致と秩序をカミの指示すなわち「宗教」に委ねた。
これが欧米の「宗教」による秩序担保メソッド。
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日本人が政治と宗教を語らない理由 ゴルゴダの丘で「優」と記す
日本では古より、文字による秩序維持が円滑になされていた。
そのため、カミに指示させて秩序を保つ必要がない。
あまり知られていないが、
カミに指示させて秩序を保つ方法論を「宗教」という。
日本では文字秩序・文字支配で事足り、
宗教秩序・宗教支配を強く行う必要がなかった。
だから、日本人は宗教について語る必要がない。
したがって日本人は宗教を語らないのだ。
また、政治についてもほぼ同じ文脈で説明が可能だ。
往々にして、政治とはどの「カミ」を選ぶかで揉める。
だが日本では正しさが文字秩序によって一致していたので、政治を行う必要性が希薄だったのだ。
日本では文字秩序が保たれていたため、政治に民衆が介入する必要がなく、
政治を語る必要もなかった。
日本人は政治と宗教を語れないのではない。
日本人は政治と宗教を語る必要がなかったのだ。
そして、
これは議論の先走りになるが、
欧米はカミを投入するのがあまりに早かった。
21世紀。
これからシンにカミが必要とされる時代。
日本には未使用のカミが潤沢に残っている \(^o^)/
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ミナミも最高だ!
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