【ミラクル書評】 羽生善治 ミラクル終盤術
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「ミラクル終盤術」は1991年に刊行された羽生善治竜王(当時)による将棋書籍だ。
同時期に刊行された「羽生の頭脳」が 定跡書だったのに対し「ミラクル終盤術」は終盤の誤魔化し、終盤の思想をテーマにした指南書だ。
いわゆる「羽生マジック」のエッセンスを言語化した将棋書籍として、ミラクル終盤術は注目を集めた。
内容は極めて難解であり、
「これ誰が読むの?」という意味において、いまだにネタ本扱い、注目され続けている。
本日はこの奇書を書評させてもらおう。
谷川浩司の時代
ミラクル終盤術が刊行された1991年は谷川浩司名人の時代であり、二十歳の声を聞いた羽生さんが竜王位を獲得し、若き名人たる谷川浩司の牙城に迫ろうとしていた時期だ。
巻末の棋書紹介のコーナーは今見ると、実に興味深い。
内藤、米長、中原、森信雄🤔、塚田、青野、小林健二、南、そして大山康晴十五世名人と錚々たる顔ぶれだ。
「青野流近代棒銀」なんぞは30年ずっとまるっきり書いてること一緒、懐かしさで落涙を堪えるのが難儀である。
「詰テク入門109」は「財テク」のもじりであり、バブルの残り香がプンプン立ちこめている。
新人類の時代
そんなバブルの残滓の中で、羽生善治竜王は誕生した。
メガネがデカい。
若い人たちはそう思ったはずだが、当時、デカいメガネが仕様だった。
とはいえ、このメガネはさすがにデカすぎる。
「羽生睨み」と恐れられた眼光は、この流石にデカすぎるメガネによって生み出されたのだ。
中堅、ベテランをバッタバッタと薙ぎ倒し、瞬く間にタイトルホルダーになった羽生さん、
あらため羽生竜王による処女作がこの「ミラクル終盤術」だ。
「寄せ手筋をパターン化して詳解」とあるが、騙されてはいけない。
この文言こそ「羽生マジック」だ。
自慢ではないが、筆者は一問目だけしか解けない。
今回レビューをするにあたって読み直したが、やはり一問目しか解けない。
ノータイムで「▲7ニ金」を脳内将棋盤に叩きつけ、羽生マジックに粉砕された。
いかにも第一感「▲7ニ金」だ。
指が覚えてしまっているってな類の形である。
だがあいにく、
ここで「▲7ニ金」しか指せないヤカラは、二問目以降パーフェクトにノーチャンである。
「寄せ手筋をパターン化して詳解」とあるが、騙されてはいけない。
この文言こそ「羽生マジック」だ。
全然パターン化されてなんてないんだかんね。
「詳解」とか上手いこと言いやがって、軽妙洒脱に言っているが、
それはコラムで修学旅行の思い出だったりを嬉々として語っている段であって、将棋のターンになると鬼畜メガネ、鬼のような鬼手、奇手、豨手のオンパレードで読者を翻弄する。
ミラクル終盤術というリトマス試験紙
ミラクル終盤術ほど毀誉褒貶が激しい棋書はない。
たぶん一世を風靡した「棋書ミシュラン」ではC評価という、滅多にお目にかかれない最底辺棋書扱い。
内容 B
量 B
レイアウト B
解説 B
と手厳しい評価が目にこれでもかと突き刺さってくる。
だがどうだろうか。
確かにこれを生真面目な人が読めば、そういう評価になるのかもしれない。
しかし、遊び心が備わった人々が読めば、ミラクル終盤術は「時代」を知るために、この上ないガイドラインになる得る。
将棋の本だからといって、そこから得るものが将棋だけではあまりに悲しい。
これは書き手の問題ではなく、読み手の問題だ。
読み手の器が大きければ大きいほど、ミラクル終盤術から多くのことを学ぶことができる。
我々世代には「男塾を1ページずつ突っ込みながら読め」という格言がある。
めい著・男塾を1ページずつ丹念に読み込むことができれば「一人前の漢」という含意だ。
そこから類推して、
多くの人が、
羽生善治・ミラクル終盤術を1ページずつ突っ込み、読むことが出来れば、日本の未来に灯がともる。
爆誕! ミラクル書籍
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刊行当初にとんでも本、物議を醸した書籍こそ、物議を醸したればこそ、現代に望外の果実をもたらす。
その点において、ミラクル終盤術は奇著中の奇著だと言えるはずだ。