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冨田誠也/98.25%の十字架

相居飛車率1.75%。
これは凄い。
振り飛車にまつわる戦型採用率が98.25%というのは凄い。

生粋の振り飛車党といっても何かの拍子で相居飛車戦になってしまうことがままある。
だが日本将棋連盟所属の棋士・冨田誠也五段は確認できる範囲という注釈つきながら相居飛車の将棋は僅かに2局のみだ。
対局数136でたったの2局だから分母数も申し分なく、これはもはや頭のてっぺんからつま先まで振り飛車に染まっているといっても過言ではない。



戦型名      対局 勝  負   勝率
三間飛車(居飛車側) 11 6 5 0.5455
三間飛車(振り飛車側) 2 0 2 0.0000
中飛車(居飛車側)    4 3 1 0.7500
中飛車(振り飛車側) 17 11 6 0.6471
向飛車(振り飛車側) 1 1 0 1.0000
四間飛車(居飛車側) 7 6 1 0.8571
四間飛車(振り飛車側) 38 19 19 0.5000
戦型不明               46 29 17 0.6304
相居飛車力戦.           1  1  0 1.0000
相振飛車                8.   7  1 0.8750
矢倉                     1  0.  1 0.0000
合計                  136 83 53 0.6103

文字ずれ御免

データ引用先 
http://kenyu1234.php.xdomain.jp/person3.php?name=406




だから富田五段のテレビ対局には、
「振り飛車戦を確信して観たが、角換わり腰掛け銀で最悪の日曜日になっちまった」というアルアル日曜日がない。

角換わりで訳のわからない序中盤を見せつけられた挙句に、ボケ・ツッコミ・ボケ潰しというお笑い三要件が微塵もない感想戦が、しかも早口で勝った側がさらに勝ち筋を誇示するという令和のブルーハーツさながらの様相で幕を閉じる。
そんな悪夢の日曜日に冨田誠也五段の将棋がなろうはずがない

今日はそんな相居飛車率1.75%の棋士・冨田誠也五段について語ってみよう。

冨田誠也の千里眼

冨田誠也は1996年生まれであり日本将棋連盟関西所属の棋士。小林健二門下。兵庫県三田市出身で立命館大学経営学部卒業。

戦型名      対局 勝  負   勝率
三間飛車(居飛車側) 11 6 5 0.5455
三間飛車(振り飛車側) 2 0 2 0.0000
中飛車(居飛車側)    4 3 1 0.7500
中飛車(振り飛車側) 17 11 6 0.6471
向飛車(振り飛車側) 1 1 0 1.0000
四間飛車(居飛車側) 7 6 1 0.8571
四間飛車(振り飛車側) 38 19 19 0.5000
戦型不明               46 29 17 0.6304
相居飛車力戦.           1  1  0 1.0000
相振飛車                8.   7  1 0.8750
矢倉                     1  0.  1 0.0000
合計                  136 83 53 0.6103


うんうん、
再びこのデータを鑑みるに、
先手ならば本命・四間飛車の対抗・中飛車であり相振り飛車辞さずといった棋風が読み取れる。
後手ならば相手が振ったら対抗型にするのを好むが、時と場合と相手によっては相振りにすることもある。

これはアマチュアから見て最上の棋風である。
さすがは立命館大学経営学部卒業だけあって需要供給のバランスから世の中を俯瞰できている。

どういうことか?
説明しよう。

角換わり腰掛け銀をはじめとする相居飛車の将棋はアマチュアのニーズが極めて乏しい。
その証左が最近また増加の一途をたどっている振り飛車系統の将棋書籍だ。
いわゆる藤井聡太以降において相居飛車の棋書が一時的に幅を利かせていた。
だが現下において、また藤井聡太以前と同じかそれ以上に振り飛車系統の棋書が復権を果たした。
これは「やはり相居飛車の棋書は売れなかった」ということの帰結である。
裏返せば「振り飛車の棋書ならば売れる」ということだ。

池上彰が縷々述べているように「本屋の本棚というものは社会の縮図」であるから、
将棋コーナーの居飛車・振り飛車比率は将棋界隈の縮図となる。
だから、
目下における「振り飛車再び大優勢の将棋コーナー」は振り飛車の将棋に対する圧倒的ニーズの表出に他ならない。

したがって振り飛車ないし対抗型を99.25%の確率で指しこなす冨田誠也五段は、需給バランスから云って正しいマーケティングに基づいて戦型を選択しているといえる。


かいつまんで言えば、
「角換わりつまらんっ。指してる棋士もおもんねっっ。感想戦でボケろ、ツッコめ、ボケ潰せっっっ、少しは楽しませろっっっっ」
というサイレントマジョリティーの声なき声を冨田誠也五段は拾い上げてくれているのだ。



強さと人気の乖離昂し

AI革命後の将棋界隈において、強さに対する意義がどれほど残されているのだろうか。
強さから親しみやすさ或いは面白さへと将棋棋士の存在意義がシフトして久しい。

タイトルホルダーは角換わりの奴隷ばかりであるしって、一人しかいないけど、まあタイトルホルダーは角換わりの奴隷しかいないのが悲しきかな現状である。

ところで、
いま人気があるのはタイトル戦にからむ棋士だろうか?
いやそれは間違いなく違う。
確かに企業スポンサーから表向き人気があるのはタイトル戦に絡む棋士だ。
だがファンから人気があるのはタイトルホルダーではない。

ファンから人気がある棋士には普遍的な法則がある。
それは「友達になりてえっ」と思わせる棋士だ。
「こいつ面白っっ」と思える棋士だ。
かつて升田大山時代において升田に人気が偏ったのには理由がある。
それは升田の方が圧倒的に「友達になりてえっ」「こいつ面白っっ」と思えたからだ。
ましてや現代AI華盛りの時代にあっては更に強さの意義は希薄化している。

この文脈からいって、現役タイトルホルダーの顔ぶれより冨田誠也の方がファンから人気を博すことはまず間違いはない。



スーパー四間飛車の系譜


冨田誠也五段は小林健二九段門下。
小林健二九段といえば「スーパー四間飛車」だ。

AIによって失格の烙印を押され「振り飛車の十字架」を背負わされて以来、振り飛車が下火になったという論調が強い。

だがそれは事実誤認である。

大山康晴が逝去した1991年から振り飛車はつねに不遇の時代をかこつているのだ。
大山康晴と森安九段亡きあとA級棋士から振り飛車党が一人もいなくなった。
そこで立ち上がったのが小林健二九段だった。
「振り飛車の灯火を消してはならない」
といったかどうかは定かではないが、それに類する情念を持って小林健二九段は振り飛車党に転身してくれたのだ。

1990年代末にあの藤井猛が上がってくるまでA級の振り飛車党といえば小林健二ただ一人であり孤軍奮闘という様相だった。
そんな小林健二九段が著した「スーパー四間飛車シリーズ」はアマチュアにとって座右であり福音だった。
居飛車穴熊に対して端角カニカニ銀模様で立ち向かうなど、どこかインパール風情漂う対策の数々は、藤井システムやトマホークといった現代の居飛車穴熊対策へと通底する何かがきっとあるはずだ。

このように振り飛車の灯火をつむいできた小林健二九段のお弟子さんが冨田誠也五段であり、四間飛車が得意戦法というのも何かの縁であろう。



友達にしたい棋士の時代

はっきり言おう。
これからの棋士の存在意義レゾンデートルは「友達になりたい奴」だ。

強さなんてものはオマケ程度に落ちぶれる。
いや、、、
もはや一部のミーハー以外の将棋ファンは、強いだけの棋士へ憧憬なんぞとっくの昔に抱かなくなっている。
行きがかり上、いやあ凄いですねえとか言ってはみるが、目は笑わせないし凄いとはあまり思っていない。

クラスに将棋が強い奴がいたと思うが、そいつを凄いと思ったか?
大抵そういう奴って将棋が強いだけで他に取り柄がなかったんじゃないか??
早口で目を合わせないで話しをして、ボケられないツッコめないボケつぶせない、三拍子揃って面白くなかったんじゃないか???


まあそういうことよ。


会いにいけるアイドル
会いにいける作家
会いにいけるAV女優

今や「会いにいける○○」花盛りの時代だが、将棋の棋士はその先駆けだ。
指導対局に行けばいつでも膝を突き合わせて語り合える。
人柄にふれることが出来る。

そこでは強さなんてものは二の次三の次だ。
強さだけならAIに任せておけばいい。
だから尚更、
友達にしたい棋士が重宝される時代なんだ。

友達にしたい棋士は強い棋士じゃない。
面白い奴だ。

面白い奴ってのは楽しませてくれる奴だ。
だからきっと面白い棋士ってのは、
重たい振り飛車の十字架を背負っても飛車を振り続ける。
その中の一人が冨田誠也なんだ。

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