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日本を蝕む「10円玉インフレ」/破滅への序曲

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10円玉の価値が暴騰している。


10円恐慌

キャッシュレス決済の爛熟によりリアルの硬貨を使う機会はめっきり減った。
だが、社会のありようは硬貨の存在を前提にしている部分もまだまだ多い。

スクラッチカードがその典型事例だ。

10円玉で擦るだけで桃源郷が顔をのぞかせる。
その興奮は何物にも変え難く、いまだに愛好家が多い。
愛好家でなくとも、スクラッチカードを入手したらば条件反射で10円玉を取り出してしまうのが昭和人間の悲しい嵯峨。
簡単に昭和や平成の呪縛からは逃れられないのだ。

ところがだ。

あにはからんや、
我が国では選挙戦の真っ最中というのに10円玉が枯渇しようとしている。
量的引き締めによって、マネタリーベースが急激な収縮をみせ、市井への資金供給が不足しているのだ。
これではスクラッチカードも宝の持ち腐れではないか。

秋のパスタフェアが終わってしまいます…


筆者の手元にはあのカフェ・ド・クリエのスクラッチカードが30枚ほど山積みになっている。
最低50円相当となる金券が30枚もの完全有休状態。

50円✖️30枚=1500円=紅茶4倍分

なんたることか、筆者の目と鼻の先にて日本のマネーが滞っていたのだ。
令和不況の原因が足元にあった。
マネーをここで滞留させている政権の金融政策失敗は糾弾されなければならない。



100円玉で擦ると…

筆者も何もせず手を拱いていたわけではない。
1円玉、5円玉、100円玉、500円玉・・・
持てるリソースをフルに糾合しスクラッチを擦りに擦ってみたが、アマテラスは顔を見せてはくれない。
10円玉以外ではスクラッチ部分が崩れて数字表示がなされない仕様なのである。



量的引き締めの通信簿


2024年7月に日銀と財務省によってなされた量的引き締めは、
市井に回る資金量を減らし円通貨の価値を高め、
外国為替において円高バイアスを形成させ、
なおかつ国内においてインフレを抑制するのが眼目だった。

だが、それからというもの円高どころか円安にふれ、挙句に国内においてインフレが抑制される気配は毛頭もない。

我々はいまやスクラッチカードすらも換金できないではないか😠

つまり、量的引き締めは功罪において罪が優り過ぎているのだ。




スクラッチカード  儚き錬金術


袋とじとスクラッチカードは昭和の二大発明だ。
袋とじ付きの雑誌を買って帰るとき、人はしばし理性を忘れられた。
スクラッチカードを擦るとき、人は儚き夢をみることができた。

スクラッチカード  10円で200円を買える魔法の杖 


100円玉で買える温もりは無くなったが、
10円玉で買える儚き夢は令和の御代にあっても健在だ。

わずかなぬくもり、儚き夢、人をして驕らせないささやかな豊さ。

だからスクラッチカードは素晴らしい。



10円玉インフレの正体


10円玉の価値が高騰している。

市中に出回る10円玉が激減しているためだ。
では、なぜ10円玉が激減しているのだろうか???
1円玉や5円玉は財布の中に相応にあるが、10円玉が極端に減っているのだ。


なぜだろうか????


それは、飲食店を中心に100円単位での値上げが相次いでいる証左。
つまり、値上げのレベルが10円刻みのフェーズを超え、100円刻みに突入してしまったのだ。

これはもはや危険宙域と言える。

日本銀行と財務省はインフレ抑制のために金融引き締めを行ったが、それは効果が薄い。
なぜならば、今般のインフレは既存の経済学では説明できないものであり、その処方箋もまた既存の経済学では描けないものだからだ。


一葉落ちて天下の秋を知る、といったものだ。
世の中のわずかな揺らぎから天下の一大事を、せめて霞ヶ関界隈の人々には感じ取ってもらいたい。

選挙戦は人流を活発化させ、物流も促進させるため、景気対策になると言われている。
確かに既存の経済学ではそうだった。
だが、現下の「情報インフレ」の下では、選挙は最悪の景気対策となっている。
選挙戦は情報インフレ状況下において人件費の高騰を促進してしまうからだ。



10円インフレの正体は無知ではなく、諦観の上の怠惰にこそある。

すなわち、
我々はまだ間に合う。








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