つかしん/40年ヤバい大型ショッピングモール
「つかしん」は1985年にセゾングループ創業者・堤清二の肝入りで竣工された大型ショッピングモール。
兵庫県尼崎市最北端のグンゼ跡地に、当時としては破格の規模を誇る商業施設が出来上がった。
大型ショッピングモールという言葉もなかった頃の話しであり、周辺住民だけでなく日本中にとって青天の霹靂のような出来事であり建設物だった。
この「つかしん」がどういった経緯を経て現在どうなっているのか、視察してみよう。
大型ショッピングモールのヤバい先駆け
この「つかしん」が日本における大型ショッピングモールの先駆けとなるのだが、堤清二の先見の明はあまりに千里眼で、少なくとも15年は早すぎた。
イオンをはじめ大型ショッピングモールの郊外出店ラッシュが始まるのは2000年代に入ってからであり、つかしんが落成した85年から15年以上を経てからの話しだ。
このことからも「つかしん」がいかに時代の先をいっていた商業施設かが分かるだろう。
つかしんは施工当初こそその話題性で客足を集めたが、1985年に阪神が優勝する頃にはもうずいぶんと客足がまばらになっていた。
様々な理由があるが、一つは駅からの遠さだ。
主要最寄駅が阪急塚口駅で徒歩15分。
これは当時まだ大型小売店法による規制が残っており、駅前には大型店を建てられなかったためだ。
また最寄駅が阪急沿線であり、西武グループとは犬猿の仲とまではいかないが阪急と西武が協調しての開発とはならなかったことも徒歩15分の一因だ。
そもそもこの当時大型ショッピングモールを郊外であれ建てること自体、大型小売店法に抵触する恐れがあり、そこらあたりをどう処理したのか堤清二の寝技がうんちゃらだったのか、もはや真相は藪の中である。
主要最寄駅から徒歩15分。
現代の目で見ればこれでは徒歩での集客は難しい。
ならば車での集客となるが、つかしんは2000台収容可能な駐車場を備えており、これも当時としては革新的なキャパシティだ。
だが1985年当時はまだ「車で大きな商業施設を訪れる」という習慣がなかったため、思うように客足は集まらない。
結局、つかしん側が想定していたのが徒歩客なのか自動車利用客なのかよくわからないまま1990年ごろには完全に斜陽の色が濃くなっていく。
斜行エレベーター
つかしんには最新テクノロジーの粋が糾合されていた。
この斜行エレベーターこそが「つかしん」の目玉中の目玉。
ロープウェイのように斜めに上がっていくエレベーターなのだが、2024年現在でも物珍しく、当然当時としては類例のない代物だった。
竣工当初は2時間待ちでようやく乗れるかどうかという人気ぶりだったが、今ではピクリとも動いていないのだから月日は残酷である。
この斜行エレベーター技術はのちに「西宮名塩」の斜面地開発に転用されることとなり、完全無比な徒花にはならなくて本当によかった。
糸井重里によるネーミング
「つかしん」はあの糸井重里が名付け親だ。
このことからも如何にセゾングループが総力を上げて「つかしん」に尽力していたかが伺い知れる。
所在地地番が塚口本町であることから「塚口の新しい〜〜」といった含みがあるようだが、「〜〜」以降はもはや邯鄲の夢であり、知らなくても特に問題はないはずだ。
逆転へ、千載一遇の好機
なんだか創業以来ずっと泣かず飛ばずのショッピングモールとして2024年現在に至っているように思われるかも知れないが、実は明確無比なチャンスがあった。
あれは1991年のことだ。
牧瀬里穂が映画宣伝のためにひょっこり「つかしん」にやってきた。
つかしんには小ぶりだが映画館もあり、そこに舞台挨拶へとやってきたのだ。
新選組の沖田総司は女だったという奇抜な設定で、幕末を舞台に沖田を巡っての坂本竜馬と土方歳三の三角関係を描く歴史コメディ。
それが牧瀬里穂主演の幕末純情伝。
沖田総司を演じる牧瀬里穂目当てに多くの人・人・人が「つかしん」に集まった。
大活況でスタンディングオベーションが15分に渡り鳴り止まなかったと、「いしの君」が縷々語っている。
この牧瀬里穂が「つかしん」にやってきた一部始終を語る人物は「いしの君」ただ1人であり、全部創作の線すらあるが、たまには石野も本当のことを言うと信じてここに書き記しておこう。
ただしここで「つかしん」にやってきたのが牧瀬里穂ではなく内田有紀だったら、間違いなく歴史は大きく変わっていた。
私だっておっとり刀で駆けつけていたから、その後のつかしんは急展開を見せていたことだろう。
こうして1991年、つかしんは千載に一遇のチャンスを多分逸した。
相対的復権
だが最近つかしんが復権傾向にある。
とはいえ「つかしん」自体のさびれ具合はさほど変わらない。
このように平日であれば風光明媚な景観を拝むことができる。
しかし最近では他の郊外型ショッピングモールも大同小異であり、平日の最上階Pはどこも似たり寄ったりの閑古鳥が静かに鳴いている。
もしかしたら、
郊外型ショッピングモール自体が命脈をつき果たそうとしているのかも知れない。
だが他のショッピングモールと「つかしん」の格差が縮小したことに違いはない。
つかしんは四十年間同じスピードで走っているが、他のショッピングモールがばてて同じぐらいのスピードになった。
そんな様相で「つかしん」に相対的復権の気配が見られるのだ。
40年早すぎた「つかしん」
大型ショッピングモールの西洋情緒とゆとりのある景観は今では当たり前のものとなった。
だが「つかしん」以前にこれほどまでの西洋情緒とゆとりのある景観は日本に存在しなかったのではないか。
とにかく全てが広大であり、堤清二が「つかしんでは無駄をつくるのだ」といったという逸話はまんざら嘘ではないと思われる。
このつかしん北側2階部分はあいにくテナントの大半が閉鎖となっているが、散歩コースとして地元住民に潤いと彩りをもたらしている。
こちらも現在のショッピングモールでは見慣れたゆとりある空間かもしれないが、それはこの「つかしん」が生贄となって熟成させた「レガシー」なのだ。
1985年竣工の「つかしん」は来年40周年を迎える。
つかしんのコンセプトはドイツ情緒溢れるゆとりある街並みの再現。
これは完全に成就されている。
最新のショッピングモールでも、ここまでゆとりと異国情緒を再現できているところはそうそうお目にかかれない。
40年早すぎた「つかしん」に、ようやく他のショッピングモールが追いつきつつある。