リュックサック亡国論
ポケットが1つもないんじゃ(笑)
文明論の見地からの分析
リュックサック通勤が市民権を得て久しい。
15年にはおよそ思いもしなかったスタイルでの通勤がすっかり定着している。
多くの人々がリュックを背負い、時に前にリュックを抱きかかえる変則スタイルで譲り合いの精神を魅せているのだ。
このリュックサックスタイルは、文明論の観点から見るとすこぶる芳しい。
生物学的人類の発達進歩を簡単に振り返ってみよう。
といった流れで2本足歩行でフリーハンドを得た人類は、
文字を発見し、
文字の発見は、それまで個人競技だった思考を集団競技へと飛翔させた。
集団で思考を行えば、思考の発展スピードが上がるのは必定。
このように、
人類はフリーハンドを獲得したことを号砲として、文明水準を一気に飛躍させたのだ。
つまり「2本の腕が自由になっている」という状態は、人類が文明水準を高める土壌なのである。
リュックによるフリーハンド
リュックサックスタイルは2本の腕を自由にした。
従来のビジネスバックは片手の自由を奪い、何かと効率が悪かったのだ。
バッグを持っているが、
目がかすんだので目薬を指した。
それだけで2本とも腕は塞がってしまう。
安全保障上多いなる問題である。
それをリュックサックスタイルは見事に克服した。
2本の腕は完全なフリーハンドを得て、たとえ目薬を指していても一本の腕が余るため、ドライアイを拗らせている中年でも安心である。
スマホやタブレットなどITの発展で、何かと情報機器を使う機会の多い昨今において、リュックスタイルによる完全フリーハンドは時代の要請だったと言えるだろう。
人類はスマホやタブレットによって飛躍的に文字と向き合う機会が増えており、これが人類にどのような進歩あるいは進化をもたらせるのか興味深い研究課題だ。
エアーリュック
だがリュックが完全無欠なのかと問われたら、答えは「即ノー」だ。
リュックスタイルはものすごく格好悪い。
二本足歩行を始めた当初の人類は真っ裸で二本足歩行だった。
それと同じくらい格好悪い。
思い出して欲しい。
15年ほど前にリュックスタイルが登場した時期のことを。
最初はみんなおどおどしていた。
こうした牽制が続き、なかなかリュックスタイルは王道には至らなかった。
羞恥心がリュックサックを背負うことをためらわせていたのだ。
だが、徐々にリュック人が増えるにつれ、
「赤信号みんなで渡れば怖くない」の法則に基づき、リュックスタイルが王道に躍り出た。
これは20年前の「レーシック」の時も同じである。
といった虚々実々の駆け引きがなされ、レーシックはなかなか普及しなかったのだ。
だが徐々に普及していき、レーシックもリュックスタイルもかつては赤信号だったことすら忘却の彼方にいってしまった。
確かにリュックは文明論的アプローチにおいて、非常に優れたメソッドだ。
だが、今般のリュックスタイルブームに限っては問題がある。
その問題とは「空気に流されてのリュックスタイル」という部分だ。
文明論的考察なきリュックスタイルブーム
現下リュックスタイルが流行っているのは、
「便利だから」が2番目の理由。
映えある1位に輝いたリュックスタイルブームの理由は、
「みんながやっているから」だ。
空気に流されてとよく言うが、まさに空気に流されてリュックを背負っているのだ。
そこには、
「二本足歩行に進化した人類は2本の腕の自由を獲得し、程なくして文字を発見。
文字は思考を可視化並びに集団競技化して人類は飛躍したのだ。
したがって、リュックによってフリーハンドを取り戻した21世紀の人類から、ニュータイプへの革新の足音が徐々にだが確実に聞こえている」
といった思索の声は聞こえてこない。
当然である。
現代人はビジネスや興行との兼ね合いで風に流されてリュックブームにたどり着いただけなのだから。
もしも、人々が文明論的考察の末に今般のリュックスタイルブームにたどり着いたのであれば、両手をあげて「素晴らしい」とワタシだって感嘆したいところだ。
だが、今般のリュックブームは風に流され、皆で赤信号を渡った結果としての帰着点だ。
だからワタシは、
どうにも今般のリュックブームをなんの注釈もつけずに受け入れる気にはならないのである。
文明論的考察から、
「二本足歩行によるフリーハンドは素晴らしいエポックメイキングな出来事だった。だからフリーハンドを取り戻させてくれたリュックスタイルはエポックメイキングで素晴らしい」という流れでのリュックブームが欲しかったのだ。
FREE HUND RED
リュックサックのメリットは何と言っても機能性に優れたところだ。
見た目には目をつぶり徹底的に機能性にこだわったところが受けている。
ところがどっこい、ワタシの新たな相棒ときたらポケットが全くない。
信じられないかもしれないが、外部ポケットは「ゼロ」。
カバーをゴソゴソやって開かなければ内部収納を使えないという不器用な相棒だ。
「リュックにはポケットが必ずある」という先入観からロクスッポ現物に触らず買ってもた。
最近ではこうした見栄えに特化したリュックサックも増えてきた。
もはやリュックも機能性だけの時代ではない。
量から質への転化ならぬ、
機能性から見栄えへの転化が起こっているようだ。
何事も挑戦しつづける奴は嫌いになれない。
HUND REDは挑戦し続けているメーカーだ。
今のところ色物メーカーカテゴリーに属するのだろうが…
あの手この手でワタシに煮湯を飲ませてくれる。
今回も一杯食わされてしまったが、とてもいい勉強になった。
しかも、良い相棒になってくれそうな小粋なヤツが来てくれた。
リュックサックスタイルでフリーハンドを取り戻した人類が、一体どうした進歩ないし進化を遂げるのか。
それを考察するのはワタシだけでいいだろう。
小粋な相棒とフリーハンドで口笛吹いて歩いて行こうと想ふ。
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