コロナ風評被害/情報の質量に観るシン分析
風評被害。
かつて、銀行脇のバス停に人がたむろしていただけで、
銀行の取り付け騒ぎが連想され、本当にその銀行が破綻したことがあった。
…悪事千里を行き、好事門より出でず…
悪い噂はあっという間に広がって、なかなか真実は伝わらない。
だから風評による被害というものが発生する。
ハンドドライヤー風評被害
このニュースによれば、
ハンドドライヤーの小さなメーカーさんが新型コロナ騒動によって大打撃を受けたという。
確かに、コロナ期間に飲食店などのハンドドライヤーは使用停止になっていた。
……風圧によって強く水をはじく何かしらがコロナの感染確率を高める…………
と、いま書いてみて筆者は思ったのだが、
これ、何書いているのかよくわからない。
羹に懲りて強い風が吹く
いま思うに、なぜハンドドライヤーが感染確率を高めるのか、理屈を見出せない。
当時は、羹に懲りて膾を吹くような状態だったので、何でもかんでも危険視していた。
だから、その延長線上でハンドドライヤーだって危険なのだろうと思っていた。
しかしながら、どうやらハンドドライヤーに感染確率を引き上げる明確なエビデンスはなさそうだ。
いや、むしろハンドドライヤーは何ものとも接触なく手を洗浄できるので、感染確率を引き下げる効果すら見込めそうだ。
上記ニュースの中でも、、、
ハンドドライヤーメーカーの社長さんは自ら実験をし、ハンドドライヤーが感染拡大につながる可能性は「極めて小さい」ことを明らかにし、インターネット上で公開した、、、
とのこと。
だがそれでも、社長さんの孤軍奮闘虚しく、ハンドドライヤー使用停止状態は続いた。
世の中に流れる「強い風」は科学で変えることが出来なかったのだ。
「一度でも『悪』とみなされると、巻き返しはできない。結局、科学的に正しいかどうかは関係ないんです」
という社長さんのコメントは身につまされる。
科学的に正しいかどうか、コロナ期におけるハンドドライヤー使用の是非を筆者もよく考えていなかった。
「なんとなくそうだろう」が集まっていくと、とても「強い風」になるのだ。
冒頭であげた銀行破綻の例で言えば、
「銀行の前が黒山の人だかりだから、みんながお金を下ろそうとしている」という事実誤認が複数集まって、強い風になって銀行を破綻に導いた。
ハンドドライヤーの例で言えば、
「ハンドドライヤーはみんなが使用停止にしているから、コロナ感染確率を上げる」という事実誤認が集まって、強い風になってメーカーに大打撃を与えた。
どうやら「みんなが」というフレーズが風評被害のポイントのようだ。
「みんなが」という思い込みが掛け算され、凄まじい風になる。
「みんなが」という思い込みには根拠がないため、根拠なしで意見のみの軽い情報となって拡散が容易になるからだ。
情報の質量
「強い風」は、
意見だけの軽い情報だからこそ吹いてしまうのだ。
もし、根拠を伴った重い情報だったら、強い風は吹かない。
根拠を説明するために多大な時間を必要とし、広がらないからだ。
皮肉なことに、
根拠のないウソ情報だからこそ、情報が軽くなって、拡散してしまう。
意見だけでなく根拠のある真実は、情報が重いため拡散しない。
このように、
情報質量の軽重が、「強い風」を作り出すカギとなっているようだ。
空を飛ばない情報の要件とは?
「真実が靴紐を結んでいる間に、ウワサは世界を半周する」
と大英帝国宰相チャーチルが言っているが、
その根拠は情報質量の軽いと重いの差異にある。
しっかりと意見・根拠・例示で理論構築した「重い情報」は空を飛べず、
なんとなくの意見だけの「軽い情報」は空を飛んで強い風を巻き起こす。
これが風評被害における一つの根拠と潤沢な例示である。
この記事が空を飛ばないことが、何よりのエビデンスとなるはずだ🥴