陣内大蔵/空よ 【一発屋貴族】
一発屋。
それは遠い日の花火ではない。
星の数ほどの一発屋がしのぎを削り、邦楽ミュージックシーンは彩られてきた。
中でも1990年代は一発屋の坩堝であり、
一発屋なくして90年代の「もう、どうにでもなれっ」的な空気、疾風迅雷なミュージックシーンを語ってはならない。
そんな百花繚乱なる90年代一発屋のなかにあって、別格扱いを受けているアーティストがいる。
「陣内大蔵」、その人である。
出せば売れる一発屋
陣内大蔵はデビューからスマッシュヒットを連発する。
だとすれば「一発屋」の称号は相応しくない、若い人はそう突っ込んだはずだ。
だが、陣内大蔵ほど我々の中で「一発屋」たり得るアーティストは有史以来存在しない。
まあこれくらいで勘弁して欲しい。
出しても出しても、売れても売れても、一発屋扱い。
そんな陣内大蔵に転機が訪れたのは1991年。
願も掛かった「91年9月1日」に発売されたシングル「空よ」が、なんとなんと「刑事貴族2」のエンディングテーマに起用されたのだ。
刑事貴族2 「空よ」
当時、刑事モノは必ずヒットするドル箱ドラマとして知られており、タイアップした音楽を必ずヒットさせるプラチナチケットだった。
これで陣内も一発屋からついに卒業か…
我々は感傷的になりながら、愛しき大蔵の卒業を見守っていた。
刑事貴族2は水谷豊主演の刑事ドラマ。
水谷豊といえば相棒のイメージが強いかも知れないが、我々にとって相棒なんぞは茶番も茶番。
若き水谷豊がジャッキー・チェン顔負けのアクションとユーモアで暴れ回る刑事貴族2こそが水谷豊の最高傑作。
そんな、今だに語り継がれる刑事モノの金字塔に陣内大蔵の「空よ」が抜擢されたのだ。
当然、陣内大蔵は一発屋からスターダムに向けて翔んだ、と思うはずだ。
なんと、
刑事貴族2がこけた。
純粋刑事ドラマの時代が突然終焉したのだ。
時代は「トレンディドラマ」へとうつろっていた。
東京ラブストーリーをはじめとするうチャラい、バブル華やかなりし頃の恋愛事情をテーマにしたコンテンツが受けに受けたのだ。
ここにハードラック極まれり。
陣内大蔵の「空よ」は心地の良い歌詞に心地の良いリズムで、聴くものに空を「魅せる」秀作に仕上がっていたのだが、ついにミュージックステーションへお呼びがかかることはなかった。
迫る、福山雅治の影
「空よ」以降も陣内大蔵は精力的に90年代のミュージックシーンを駆け回った。
だが1992年に本格化し始めた福山雅治とキャラが被っていたという不運も重なり、檜舞台に躍り出ることはかなわなかった。
いささか逆説的ながら、福山雅治の急台頭によって数多の一発屋が生み出されたといってもあながち間違いではないはず。
それほどまでに、あの「さわやか二枚目キャラ属性」は90年代音楽シーンにおいて過当競争になっていたのだ。
そして、永遠の一発屋に
陣内大蔵さんは敬虔なプロテスタントであり、関西学院大学神学部卒という異例の経歴をもつ。
というより、調べているうちに陣内大蔵さんが筆者の先輩だったという重大な事実が判明したのだ。
池上彰が云うように裏どり取材は重要なのである。
ところで、
関西学院大学には微妙な、偉大な先輩が多い。
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若かりし頃は絶世の美少年として知られていたが、その写真は空襲で全紛失してしまったキダ・タロー先輩。
透明感のあるキャラで一世を風靡し、透明感のおもむくままにどこかへ行ってしまった豊川悦司先輩。
田中角栄の後を継いで日本の舵取りを行なった、クリーン三木こと三木武夫首相。
ボーリングだけは馬鹿みたいに上手い吉田直樹くん
死屍累々多士済々な顔ぶれが関西学院大学OBには名を連ねる。
その中でも一発屋として90年代のミュージックシーンを潤いと彩りに満ちたものにしてくれた陣内大蔵先輩は、今でも我々の語り草だ。
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陣内大蔵こそが最高の一発屋だ。