住みたい街とグローバリズム/21世紀の密かな枢軸
「住みたい街ナンチャラ」が市民権を得て久しい。
住みたい街ランキング、
本当に住みたい街ランキング、
住みたい街大賞、
住んでよかった街ランキング、
ドキドキする街ランキング、
・・・
・・
・
千紫万紅、百家争鳴といった風情である。
不動産業者が各々の思惑の中で、知謀の限りを尽くしてフレーズを捻り出している。
その割には似たり寄ったりになってきた感もあるが…
21世紀も四半世紀の星霜を経て、
住みたい街ナンチャラが市民権を得て「爛熟」しつつあるのだろう。
この爛熟の四半世紀。
同時に日本の街々で起こった現象がある。
それは「外国人の増加」だ
本記事は「住みたい街Rの爛熟」と「インバウンド増加」という二つの現象をじっくりコトコト煮詰めていく。
一見して関係なさげな2つの現象を「経済合理性」というメスによって縫合する。
その上で、現在日本でなされているグローバル化やインバウンド政策による景気回復がいかに愚かなのかを説明する。
グローバル化やインバウンド政策こそが失われた30年の「原因」であり、
グローバル化やインバウンド政策が失われた30年の「解決策」にはなり得ないことを示す。
住みたい街とは、豊かになれる街である。
日本はこの30年間、豊かになれる国ではなかった。
なんとかして、日本を豊かになれる国に戻さなければならない。
本記事がその一助になれば幸甚である。
さあ、日本を住みたい国にもどす第一歩をふみ出そう。
住みたい街とは何か?
2000年から2024年まで、
大から中小、泡沫から零細に至るまでさまざまな不動産業者が主宰するランキング。
筆者は膨大なランキングにくまなく目を通し終えた。
その結果、「ピキーン!!」と見えてしまったことがある。
「住みたい街ランキング」にしても、「本当に住みたい街ランキング」にしても、「GET WILDが似合う街ランキング」にしても、
詰まるところ同じ方角を向いていたのだ。
「住みたい街」という概念において、衆目の一致する方角があった。
住みたい街はお金持ちの街ではない。
住みたい街は豊かな街でもない。
かといって貧しき街でもない。
弱いものがさらに弱いものを叩いたりもしない。
もはや昭和でもない。
では、住みたい街とはいったい何か?
住みたい街とは、豊かになれる街だ。
住みたい街は経済合理性の高い街
「大阪版」であれば、
西宮北口、梅田、三宮、芦屋、JR尼崎、高槻、明石、西明石、千里中央、塚口、河原町、本町、烏丸、天王寺、甲子園、難波、高槻といったところが常連となっている。
この住みたい街ビッグデータを筆者は30年かけて、ついに完全解析へと導いた。
その間に日本は筆者というドライビングフォースを失い低迷してしまった。
失われた30年の真相が詳らかになったところで閑話休題。
見ての通り、
住みたい街・大阪版の常連駅には貧しい街だって含まれている。
豊かな街が多いのは確かだが、JR尼崎が豊かかと聞かれたらば…
「はいっ」と言い淀むのも事実だ。
だがしかし、JR尼崎は豊かだ。
お前は何をいっているのかと小一時間問い詰められそうだから、早めに結論を書いてしまおう。
JR尼崎は「富の2階微分が大きくプラス」なのだ。
現時点ではさほど豊かではないが、JR尼崎にいると豊かになっていく。
JR尼崎にいると生産性が上がる。
仕事が捗る。
他の町にいるより良い仕事ができる。
他の町にいるより短い時間で仕事が終わる。
新快速が停車するため、大阪に出るのに時間の無駄がない。
商業施設がギッシリ密集しているため移動がスムーズだ。
人々が道を譲り合うため、移動が円転滑脱だ。
すなわち、
JR尼崎は経済合理性が高い街なのだ。
こうした経済合理性の高い街が、ズラリと一堂に介しているのが「住みたい街ランキング」なのである。
インバウンドのいる街はなぜ混雑するのか?
住みたい街ランキングの驚くべき正体が明らかになった。
余韻はさめやらないが、
ここでインバウンドのいる街を考えてみよう。
インバウンドは日本人と価値観や倫理観が異なる。
道の右を歩くのか?
道の左を歩くのか?
エスカレーターのどちらを開けておくのか?
黄色信号は「急げ」なのか?
街の移動に関して判断基準が日本人と大きく異なるのだ。
結果、インバウンドのいる街は混雑を余儀なくされる。
インバウンドのいる街は「賑やか」と表現されがちだ。
だが「賑やか」というのは、「混雑している」ことと同意義である。
「賑やか」には「繁栄している」とは大きく異なるニュアンスが含まれている。
繁栄している街には、必ず経済合理性の高さがある。
賑やかな街には、必ず経済合理性の低さがある。
インバウンドがいて賑やかな街は、「混雑していて経済合理性が低い」のだ。
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