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タワマン/失われた30年 最終階/格差急増中!!

タワーマンションとは20階建て以上の高層マンションのことをいう。
2000年代といえば規制緩和の時代だが、規制緩和によって建設可能になったものの代表選手がイオンとタワマンと言ってよいだろう。

イオンとタワマン。
この両者は良くも悪くも「失われた30年」の集大成である。

今回は「タワマンが失われた30年の集大成だ」という論点にてお話しさせてもらおう。


1975年 資本主義の限界点

失われた30年とは何だったのだろうか?
エコノミストの水野和夫さんがこんなことを言っている。

1970年以降の資本主義は次の3つの理由にて外部への拡張が出来なくなった。

① アメリカがベトナム戦争に敗退して、物理的な拡張が不可能になった
② 出生率が2.0を割って、将来の購買分母の減少が決定的になった
③ オイルショックによって交易条件が反転した (安く買って高く売るというチョロいビジネスが出来なくなった)

そこで資本主義内部にて、中心と周縁の組み替えがおこなわれている。

🤔

「中心と周縁の組み替え」という表現は少し難しい。
だから、少し説明を加えよう。

1970年代までは、
先進国全体が儲け続ける中心で、後進国全体が搾取され続ける周辺だった。

1970年代までの資本主義
       富を搾取
  先進国   ←   後進国

簡単な永続的な搾取構造

ところが、
1970年代以降は先進国の中にも搾取される周縁ができ、
同じく1970年代以降は後進国の中にも儲ける中心ができ始めた。
要は国内にも格差をつくりながら、先進国はなんとか経済成長を続けたということだ。

1970年代以降の資本主義
         富を搾取
 先進国の資本家       先進国の労働者
           ←
 後進国の資本家     後進国の労働者

1970年代までは、非常に簡単な構図だった。
先進国が後進国から富をドンドン吸収していく。
そして、先進国の中で、
資本家と労働者が富を分け合って、ともに豊かになっていった。

これが1970年代までの「労働者の黄金期」であり、
日本でもサラリーマンの給与が経済成長率以上に伸びていった時代の背景である。

ところが、1970年代に入ると状況が一変する。

まずオイルショックにて、
「後進国から安く買い叩いて、後進国に高く売りつける」というチョロいビジネスモデルが破綻した。

次にベトナム戦争でアメリカが敗退したことで、新たな「カモ」となる後進国(経済植民地といった方が適切かもしれない)を見いだせなくなった。

最後に出生率が2.0を割って、このまま推移すると先進国内で将来的に購買力がジリ貧になることが明確になった。

これら3つの要因により、
「後進国から富を奪って、先進国の中で富を分け合い、労働者からの不満を減少させ、選挙で市場経済を支持させる」という流れに暗雲が立ち込めたのだ。



資本主義の延命 中心と周縁の組み替え


後進国から富を搾取して、その富を先進国内部でわけわけし、みんな豊かになっていく。
この1970年代までの勝利の方程式が、オイルショックなどによって暗礁に乗り上げる。

そこで新しい手法が取られたのだ。

それが「中心と周縁の組み替え」メソッド。

先進国内部はそれまでずっと「儲け続ける中心」だった。
後進国はそれまでずっと「搾取される周縁」だった。
しかし、そのまま行くと、先進国は資本家も労働者もまとめて全体が沈没してしまうことが決定的になったのだ。

そこで先進国内部に搾取する「周縁」を見出した。
それが「労働者」だ。
1970年代以降、
先進国という中心の内部に、労働者という周縁を作り出して、資本主義は延命をはかりだした。

これがエコノミストの水野和夫さんが言っていることのダイジェストだ。


失われた30年 搾取主体の国内化

失われた30年というのはおおよそ1995年から2024年の時期をさすことが多い。
この時期において、
日本は構造改革を進め、労働規制などを緩和させ、
官民足並みを揃えて世の中のアメリカ化を推進してきた。

労働者をより低賃金で雇えるように派遣労働が解禁され、資本家が国内で搾取することが合法化。
訴訟社会にするために、弁護士数を2倍にして、当然のように出現した貧困弁護士救済のため、グレーゾーン金利を訴訟対象にする。
そして、アメリカのような景観にするため、建築規制を緩和させ、駅前に高層マンションを林立させた。

こうして30年かけて日本は見事なまでにアメリカ化された。
日本国内の所得格差と資産格差は広がる一方になり、
社会の均衡装置だったヤクザが排除され、富める者が勝つ訴訟社会になり、
タワーマンションを中枢にコンパクトシティが爛熟しつつある。

ここでコンパクトシティとは、
富めるものの、富めるものによる、富めるもののための社会の総称だ。

失われた30年とは、富めるものがより豊かになる半永久構造を作るための期間だったのである。
それを水野和夫さんは「中心と周縁の組み替え」と言っているわけだ。



誰がタワーマンションに住んでいるのか?


日本の駅前というのは押し並べて次のような分布になっている。


      山の手 

   タワマン  タワマン  
ーー←【電鉄】→ーー駅ーー  
   タワマン  タワマン  

       下町


駅の北側に山の手があり、駅の南側に下町がある。
これが逆転することもあるが、おおむねこの構図で日本全国津々浦々は構成されている。
山の手にお金持ちが住み、
下町にお金持ちを目指す人々が住む。
この関係性は実のところいまだって変わっていない。

ところで、
この図の中にあるもののうち、
2000年までなかったものがある。
それがタワーマンション略してタワマンだ。

20階以上のタワーマンションは2000年まで建てることが法的に非常に難しかった。
だが日本をアメリカみたいにしようぜってノリの構造改革によって、もはや朝飯前にタワマン立っちゃうよね。
その街の一番美味しいところにタワマンできちゃうよね😉

では、タワマンに誰が住んでいるかと言えば。
ここが面白いところやねんで。

タワマンは山の手でもなければ、下町でもない。

タワマンができるのは押し並べて駅前であり駅チカとも言われる。
駅前は2000年まで、人が住む場所とは認識されていなかった。
日本においては、
駅前は人が働いたり、移動のために通り過ぎるという合意形成がなされていた。

でもあれやねん、構造改革すなわち日本社会のアメリカ化はそれを許さなかったんや。


      山の手 

   タワマン  タワマン
ーー←【電鉄】→ーー駅ーー
   タワマン  タワマン

       下町


タワマンにきたんは、よそ者やねん。
その街の山の手人でもなければ、その街の下町人でもあらへん。

よそ者がやってきて、その街のいっちゃん美味しいとこに住んでもうたんや。

その街にずっと住んでる人たちにとったら忸怩たる想いやわ。

だってや、それまでその街をみんなして一生懸命作り上げてきたんやで。

そんでもって、その一生懸命作った街のその国の、一番美味しいとこにタワマンたった思ったら、
そこによそ者がやってきた。

なんや、美味しいとこばっかもって行きやがって、
駅前の一番便利なとこばっか利用しやがって、
傘なしで涼しい顔で生活しやがって、
町内会とか参加せんと、
24時間ゴミ捨てやがって、
なんやねん、
キラキラ輝きやがって、
生ゴミを台所で生成分解しやがって、
こんちくしょうって、


聞いて、聞いて、
俺なあ、
昨日やねんけど、
勇気振り絞って上層階の奴らの顔見てやったんや、

そしたら、



そいつらむっちゃカネ持ってる外国人ばっかやったわ。


失われた30年で山の手も下町も僕ら日本人がまとめて失った分、
そっくりそのままタワマン上層階の外国人にもって行かれてもた。

これが、中心と周縁の組み替えやったんや。


ただし、中心がぜんぶ外国由来で、
周縁がぜんぶ日本人やったっていうオチは、さっすがに想定外やったんちゃう。


ホリエもん?

あんなモン、
アメリカやったら周縁モブやっちゅうねん。

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