社会還元がタブー/市場経済という近現代死亡遊戯
〜12月8日 20:30
我々が生きる21世紀。
市場経済の世の中では「社会還元」をやってはならない。
社会還元をすれば世界が破滅に近づくからだ。
社会還元は世の中を停滞させる
「企業や人々が競い合うことで世の中にあるモノコトの質が向上していく」
これが市場経済の要諦。
だから市場経済の外で社会還元がなされた場合、世の中にあるモノコトの質が向上しなくなる。
「若者よ、この杖を授けよう」では杖の品質がいっこうに向上しないのだ。
だが、世の中にあるモノコトの質が向上しなくても特に困らないという向きだってあるだろう。
確かに世の中は十分に便利になった。
もうこれくらいにしとったら、と思う人がいたっておかしくはない。
しかし、ひとたび市場経済という劇薬を呑みこんだ我々に停滞は許されないのだ。
市場経済と環境破壊はコインの裏表
市場経済は環境破壊と隣り合わせだ。
人の密を作り出して、規模の経済ならびに密度の経済によってモノコトの品質を高める。
その裏で「「密」」を大きく上回る「「「「疎」」」」ができる。
都市部への人口密集と地方の過疎化は市場経済の必然的帰着なのだ。
都市部一点集中によってトータルの経済規模が膨れ上がると、それを支えるエネルギー消費も引っ張られて膨れ上がっていく。
我々のエネルギー源は原油そしてウランといった自然燃料であり、これに頼らない社会にはもう二度と戻ることはないだろう。
原子力発電が環境に優しいと語られることもあるが、ウランは地下深くに埋蔵されておりそれを採掘することはすでに環境破壊であろうに。
すなわちその時点で既に原子力発電は環境を破壊している。
その上に原子力発電の構造的リスクが加算され環境破壊に輪をかけているのだ。
人類がいなければ地下に眠っていたはずの自然燃料。
これに手がついた時すでに、環境破壊は始まったのだ。
そして、地下に眠っていたはずの石炭・石油に手がついたのは1800年代初頭の産業革命が端緒だ。
つまり、産業革命が起こった1800年代以降200年間にわたり、市場経済と同時進行で環境破壊は継続されている。
いまやコインの裏には必ず環境破壊があるのだ。
都市部一極集中とは環境破壊からの早逃げである
人間的行為にボランティアを仲介させるのではなく、
人間的行為に貨幣を仲介させることで、
モノコトの価値が数値可視化され、
世の中に出回るモノコトの質が右肩上がりで向上していく。
これが市場経済のメカニズム。
そして、市場経済の裏では大量のエネルギーが必要とされ環境破壊が止まることはない。
市場経済の宿痾たる環境破壊が進行するのを尻目に人類は近代を生き抜いてきた。
衰退していく国、過疎化していく地方を横目に、
人々は繁栄していく国、賑やかな都市部に集まっている。
環境破壊によって人が住めなくなっていく周縁からの逃避と軌を一にする現象だ。
環境破壊の類が及んでいない中心への逃避と軌を一にする現象だ。
中心たる都市部に多くの人々が住まえるようテクノロジーが用いられている。
より多くの人々が、より密集して、より利便に、より速く、より安く、
中心にて生活できるようテクノロジーが用いられている。
その象徴が駅チカでありその傍らにあるタワーマンションと大型ショッピングモールだ。
タワーマンションが超密度で人々の集住を可能にし、
大型ショッピングモールが規模・密度の経済を最大化して「より良いものを、より安く」を実現している。
環境破壊によって周縁が住めなくなる未来を見越して、我々はテクノロジーに磨きをかけている。
市場経済によってモノコトの質を高める。
これはとりもなおさずテクノロジー水準の向上である。
そして、市場経済によるテクノロジー水準向上だけが、環境破壊から人類を守る銀の弾丸たり得るのだ。
だから、市場経済が停滞すると環境破壊から人類を守れなくなってしまう。
市場経済の停滞はすなわち破滅
現下2024年現在の日本にあっても、エアコンなしの生活はまずもって考えられない。
エアコンは市場経済の熾烈な自由競争の中でこそ開発されたテクノロジーである。
産業革命以降200年間でなされた環境破壊による気温上昇。
これを凌ぐ術として、いまやエアコンは必要不可欠だ。
よって、これからの200年を凌ぐために更なるテクノロジーの開発が不可欠となる。
もし我々がそれを怠れば、
「エアコンがない2024年日本」以上の災厄が22世紀の人類に降りかかることとなる。
次世代へのツケを残さぬために、我々は市場経済を駆動させ続けて更なるハイテクノロジーを獲得しなければならない。
だから、
ボランティアで社会還元をするのは御法度となる。
ボランティアでは競争が起こらない。
「この杖を授けよう」で貰った杖に星1つのレビューをつけられないからだ。
競争が起こらなければモノコトの品質向上はなく、いわゆるイノベーションによる新たなテクノロジー開発が起こらない。
新しいテクノロジー開発がなければ、「エアコンがない2024年日本」以上の災厄が22世紀に人類に降りかかる。
すなわちハメツである。
だからこそ、
市場経済全盛の時代において、ボランティアによる社会還元は人類のテクノロジー停滞を招き、来るべき環境破壊に対応できなくなるため御法度となるのだ。
これは果たして寒い時代なのだろうか。
高齢化社会と市場経済
環境破壊と同時進行で起きている事象がある。
それは人類の高齢化だ。
環境破壊を土台にして市場経済が駆動し、熾烈な企業競争の帰着としてテクノロジー水準が向上する。
テクノロジー水準の向上は医療にも当然および、人類の平均寿命が右上がりとなっているのだ。
つまり、市場経済の結果として高齢化社会が到来したわけである。
そして環境破壊と市場経済は同根である以上、環境破壊の結果として高齢化社会がおとずれたとも言える。
高齢化・ボランティア社会化は市場経済の天敵
さて、市場経済と環境破壊の鬼っ子である「高齢化社会」。
高齢化にともなって、職業リタイアをむかえ貨幣経済の外において社会還元をしようという高齢者の数が増えている。
「この杖を授けよう」というフレーズこそ聞かないが、
無料で何かしらのオンライン塾を開いたりする人も増えている。
人生の先達から後輩への技術の伝授である。
自分が先達から貰った豊かさをボランティアにて後進とその社会へ還元していく。
はっきり言って、
筆者の等身大の価値観において素晴らしい行いだ。
先達から後進への代償を求めない叡智の伝授。
だが、これすらもまた市場経済の天敵となってしまうのだ。
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11月9日 20:30 〜 12月8日 20:30
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