【読書革命】有料記事の効用/読者階級の絞り込み
noteにおける有料記事にまつわる機能が充実してきた。
それにともない有料記事の比率も高まっている。
ではこの有料記事の効用にはいったいどんなものがあるのだろうか?
大きな効用は「読者階級」の絞り込みだと思料する。
「読者層」ではなく「読者階級」の絞り込みだ。
この絞り込みが出来ることが有料記事の大きな強みだといえよう。
さらに結論を先取りすれば、
有料記事の最強にして最大の強みは「人類に本物の読書を周知できる」に繋がる。
では、これから「人類に本物の読書を周知できる」という有料記事の効用、すなわち読書革命について掘り下げていこう!
読者階級とは?
読者層という概念がある。
読者層とは「10代女性〜30代女性」「社会人中心」「学生諸君」といった社会的グループを指す。
読者グループを決めて、それに訴求するテーマをその年代好みする筆致で綴る。
これが文章をしっかりと読みこんでもらうための鉄則だ。
一方で、あまり知られていないが「読書階級」という概念も重要である。
読書階級というのもグループには違いがない。
だがこの読書階級は読書意識によって分類したグループなのだ。
「読書層」が社会的グループの分類であるなら、
「読書階級」はさしづめ読書グループによる分類といえよう。
読書階級の中身について、項を改め説明させてもらおう🥴
広がる読書格差
読書格差は広がるばかりだ。
と、述べると、
「若者が読書をしなくなった」と言っているように思われがちだ。
だが筆者の認識はまるで異なる。
読書とは「読む」と「書く」からなる。
等式に直せば、
読書 = 読む + 書く となろう。
一昔前までは本によって活字を読むことは出来ても、活字を書く機会は極めて限定的だった。
ましてや他人様に読んでもらう機会など皆無に等しい状態が20世紀末まで続いていたのだ。
だが現下ネットSNS社会においては、
読むはもちろん書くすらも容易くなり、ひいては他人様に読んでもらう機会はとみに増えた。
旧ツイッター(新X)などのSNSによって「書く」と「読んでもらう」が汎用化されたのだ。
結果、従来の読む一辺倒だった片手落ちの読書は終焉した。
今や読むと書くのハイブリットたる完全体の読書が可能になっているのだ。
したがって、現在の若者は読書ネイティブといっても差し支えがないだろう。
若者よ。
諸君らは、
有史以来初めて「本当の読書」を行なっているのだ。
若者の読書 老人の孤読
読書とは「読む」と「書く」のハイブリッドであることはすでに述べた。
では従来の「読むだけ読書」から「読んで書く読書」に進化したことで何が変わるのだろうか?
読書のうち読むは情報のインプット。
読書のうち書くは情報のアウトプット。
従来の読む一辺倒型読書においては情報のインプットだけに終始していた。
情報のインプットは悪いことではないが、アウトプットの機会に恵まれないため、いわゆる
宝の持ち腐れ」になる傾向が強かった。
さらにアウトプットして他者のフィードバックを引き出せないため、間違いに気づく確率が極めて低い。
結果、読む一辺倒読書が育てたのはまさに偏屈な老人だった。
自分の枠組みの中で自己正当化を繰り返し、自分の中だけでしか通じない正義を拡大再生産した人物が大量に生産されてきた。
だが今やそれは昔となった。
読書革命
実はものすごいことが起こっている。
ついに人類が読書を開始したのだ。
これが冒頭で述べた「有料記事が、人類に本物の読書を周知できる」に繋がってくる。
従来の読書は読むことに偏重し、書くが圧倒的に不足していた。
アウトプットなきインプットである。
知の行き止まり地点が近代人類の至るところで登場した。
結果として近代は科学的合理主義を掲げながら、知の広がりは狭く尚且つ極めて遅かったのだ。
だが人類はインターネットの爛熟にともないアウトプットの機会を獲得し、ついに読と書を融合させ読書を完成させるに至った。
名付けて✨「読書革命」✨である。
読書革命と読書階級
ここでは読書革命と読書階級についてその関係性を述べていこう。
読書階級とは読書を読むだけのものとしてしか捉えられない人々と、読書を読むと書くの融合物として捉えられる人々の区分である。
ここでは簡単化のため、「孤読階級」と「読書階級」という言葉を用いて区分しよう。
インターネット並びにSNSの爛熟によって書くことすらも容易に行えるようになり、本物の読書が可能になったことはすでに述べた。
読書革命が本物の読書を可能にしたのだ。
すると、
人々は必然的に2つに分類できるようになった。
1つのグループが従来の読むだけの読書に拘泥する人々。
もう1つのグループが読むだけでなく書くも含めて読書を嗜む人々。
読書革命によって人類をこの2つのグループに分類できるようになったのだ。
少し言葉は悪いが、ニセモノの読書家とホンモノの読書家の2通りに峻別出来るわけである
もう一度まとめると、
インターネットとSNSによる読書革命が読書階級をつくったのだ。
孤読の問題点 文明の停滞
では、従来型の「読む」偏重型の読書は何が問題なのだろうか?
それは知の囲い込みにある。
読むだけで書かない、というのは「知」を堰き止めてしまう行為だ。
叡智は後世に伝えて世の中を豊かにするためにある。
その叡智を自分の中で堰き止め、自分の利益中心に用いる。
それでは叡智が哭いてしまうし、文明が枯れ果ててしまうではないか。
読む偏重型の読書は、知を囲い込んで、文明を枯れさせてしまうから問題なのだ。
翻って、
読むと書くが融合した現代IT型の読書はどうだろうか。
人々はSNSなどによって「読んだ」刹那にして「書く」を行う。
電光石火で情報のパス回しが起こり、叡智が瞬く間に伝授されていく。
こうして現代IT型読書には文明水準を瞬く間に高める効用があるのだ。
文明を枯れさせる読む偏重型読書。
文明を瞬かせる読むと書くの融合型読書。
筆者は融合型読書の方が良いと思う。
そこにもはや言語化はいらないはずだ。
さしづめ文章のスラムダンク最終巻である。
すなわちもうすぐ完結フラグなのだ。
有料記事と読書階級の絞り込み/読書階級と無読書階級
では、本記事のテーマである「有料記事と読書階級の絞り込み」の説明を行なってフィナーレに向かおう。
読書における階級は、読む主体の孤読階級と、読むと書くの均衡階級たる読書階級に分類できる。
孤読階級の問題点は、知をインプットするだけでアウトプットがなく文明を停滞させてしまう点にあるのだった。
そして孤読階級の問題点がもう一つある。
それはその存在が見えないということ。
孤読階級は読むだけなので、意見はもとより存在すらも見えない。
この世に存在していないといっても差し支えないだろう。
有料記事はこの世に存在していない孤読階級を掬い上げて、読書階級に引っ張り上げて可視化させることができる。
資本優先主義の判断基準全盛の世の中にあっては、
有料に出来るということが書くことの強い誘因になる。
だから有料記事は書くことへの意欲を引き立て、孤読階級を読書階級に引っ張り上げることができるのだ。
ゆえに有料記事は孤読階級を減らしていき、最終的には孤読階級を駆逐する大きな要因になる。
結果、この世の中から孤読階級は消滅する。
残るのは、
読書階級と無読書階級だけだ。
つまり、
有料記事によって読書階級が絞り込まれたワケである。
ここで改めて見回して欲しい。
今ここにいるのは、見事なまでに読書階級だけではないだろうか。
これこそが有料記事に在している効用なのだ。
ここから先は
¥ 298
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?