住みたい街ランキングの資格と死角/「道をゆずる」
〜12月5日 21:00
住みたい街ランキングが市民権を得て久しい。
賛否両論ある住みたい街ランキングだが、やはり上位に選ばれた街を歩いていると快適だ。
意識して歩いていると発見がある。
ランキング上位に選ばれている街には共通項があった。
それは「人々が道を譲ったことに気付いてくれる」ということだ。
千紫万紅 街ランキング
先ほど「住みたい街ランキング」と連呼したが、黒幕の匙加減によって主宰企業によってさまざまな呼称がある。
「住みやすい街ランキング」だったり、
「住んでみたい街ランキング」だったり、
「借りて住んでみたい街ランキング」だったり、
「GET WILDが似合う街ランキング 関西版」だったり、
手を変え品を変え百花繚乱状態だ。
本記事ではこれらを一般化して「住みたい街ランキング」と表記させてもらうことにしよう。
住みたい街の掟
住みたい街ランキング(住みラン)にはどうしても大人の事情が介入してしまう。
だが、相応の品質が保証された街が選ばれていることに間違いはない。
公共合理性の高い街が必ず上位に選ばれている。
ここで「公共合理性」というチョイ難ワードが飛び出したが大丈夫だ。
公共合理性とは「道を譲ったことに気付いてくれる度合い」のことである😉
道を譲り合える街は、貨幣経済が見えない部分から後押しされてより発展する。
住みラン上位の「道を譲り合える街」は、貨幣経済以外の部分においても人々がどんどん豊かになれる。
だから「住みラン」に選ばれる街を歩いているとそれだけで豊かになれる。
そのメカニズムを説明しよう。
道を譲り合うことの意義
ところで、道を譲り合わないとどうなるのだろうか?
ここでは極端な例を考えてみよう。
道を譲り合わないと、A図のようになって道を前に進めない。
道を前に進めないと買い物ができない。
買い物ができないと経済が発展しない。
経済が発展しないと人々が貧しくなる。
こうした理路によって道を譲り合えない街にいると貧しくなっていくのだ。
逆に道を譲り合える街は、B図のように人流が最適化され効率が良くなる。
時間的にも精神的にも街が最適化されていくのだ。
つまり、道を譲り合うことでその街の人々は時間を多く使うことが出来る。
時は金なり
道を譲り合うことで速く快適に移動できている、ということは経済指標には数字となって現れない。
GDP(国内総生産)には道を譲り合う確率は付記されていない。
だが、道を譲り合うことによって貨幣経済の中で人々がより豊かになる下地が整備される。
ここで、
同じだけ貨幣的に同じ豊かさのあるA街とB街があったと仮定しよう。
A町は道を譲り合うため、貨幣経済が数字以外の部分でスムーズになり発展する。
B街は道を譲り合わないため、人流も物流も停止し、貨幣経済が完全に機能不全になる。
結果、、、
このように、
いささかばかり極端な例ではあるが、
道を譲り合えるかどうかによって、貨幣経済の規模が「0」と「600兆円」に分岐するのだ。
住みたい街の資格
住みたい街ランキング上位の街には共通項がある。
それは「人々が道を譲ったことに気付いてくれる」ということ。
なぜ気付いてくれるかといえば、道を他人に譲ったことがあるからだ。
道を譲れば道を譲られ、人流も物流も改善されてその街がより豊かになれる。
そのことに人々が明確に気付いているかはともかく、住みたい街はより豊かになる土壌が整っていく。
道を譲り合えるという豊かになるための「必須インフラ」が住みラン上位の街にはあるからだ。
道を譲り合える
これが住みたい街ランキング上位に入るための「資格」なのだ。
住みたい街の死角
住みたい街というと、金銭的豊さや華やかさやその街の大きさに目が行きがちだ。
だが、ただ豊かなだけの街は選ばれない。
ただ華やかなだけの街は選ばれない。
規模が大きいだけの街は選ばれない。
金銭的には豊かなのになぜか住みランに選ばれない街がある。
街並みは華やかなのになぜか住みランに選ばれない街がある。
人口規模は大きいのになぜか住みランに選ばれない街もある。
なぜか?
住んだら貧しくなってしまうからだ。
道を譲らない街というのは、心が貧しいだけではない。
道を譲らない街というのは、人を金銭的により貧しくさせていく。
綺麗事ではなく、
精神の豊かさと金銭的な豊さは密接につながっているのだ。
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11月7日 21:00 〜 12月5日 21:00
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