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文明論の凱略/数字による価値の可視化/#004

文明とは言語わけても文字言語によって世界を解明するプロジェクトである。
これを略して、、、  文           明        という。
今回は「数文字」略して「数字」によって価値が可視化されたことを見ていこう。

これまで人類社会において、
3つの可視化が文明を飛躍させた。

手段    可視化されたもの

文字      思考
数字      価値
デジタル化   倫理観 

この中でも「デジタル化による倫理観の可視化」というものが気になるかもしれない。
極々簡単に述べておくと、
これは昨今のIT化において個人情報がGAFAと比喩される大手IT企業セグメントに掌握され、しかもコロナ事変によって平時だけでなく有事の個人情報までも掌握されたために「ある人物がどういうインプットに対してどういうアウトプットを返すのか」までをGAFAが把握したということだ。
これだけでは一知半解だと思うので、
これについては折に触れて述べていくとしよう。

さて人類社会において、三つの可視化が文明を飛躍させたのだった。

人類三つの可視化
手段    可視化されたもの

文字      思考
数字      価値
デジタル化   倫理観 

前回までで「文字が思考を可視化させた」ことを解説した。
今回はそれを踏まえて「数字が価値を可視化させた」ことを解説していこう。


「文字による思考の可視化」のおさらい

「数字以前は『いい』『わるい』といった大雑把な価値の表現しか出来なかった。
 だが数字発明以後は『こっちの杖なら100万円』『あっちの杖なら10万円』といった具合に価値(大きさ・小ささ)を細かく表現できるようになった。こうして数字の発明は価値を見える化したのだ」

こうした具合に文字文章は思考を見える化できるようにしたのだ。
「価値の表現しか出来なかった」という文節はワタシの「思い」を可視化したものであり、
「・・・になった。こうして数字・・・」という文節はワタシの「考え」を可視化したものである。
そして「思い」と「考え」を合体させたものを「思考」という
だから文字文章は「思考」を可視化できるのだ。




数字以前の価値表現のヤバさ

「あのマンモス、デカい」「マンモスやばい」
狩猟時代の人類はとにかくやばかった。何がやばいかといえば、意思疎通があまりにアバウトで命がやばかった。
「マンモス、デカい」といってもどれくらいデカいかは不明瞭。
「マンモスやばい」といってもどれくらいヤバいかは藪の中ときに三途の川の中。

これでは人類が霊長類の王になれる道理なんぞは皆無だ。
当然人類は逃げまどい恐竜やマンモスという強力な種の傍で「その他の動物」扱いを余儀なくされていた。

やがて人類は地面に書いたイラストに想を得て文字を発明。
そこから「思考の可視化」「思考の集団競技化」によって巻き返しを図り霊長類の長の座に一歩前進していた。

文字の発明は今こうやってまさに思考を見える化しているように、読者に思いと考えるを伝えることを可能にしたものの、霊長類トップの座を盤石にするためにはもう一押し欲しいところ」だった。


人類三つの可視化
手段    可視化されたもの

文字      思考
数字      価値
デジタル化   倫理観 

そしてその「もう一押し」が「数字の発明による価値の可視化」だった。



数字発明のディープインパクト

「あのマンモス、デカい」ではマンモスがデカいことはわかってもその大きさはまったく伝わらない。
それでは適切な対応策が打てないから人類の生存確率は低いままだ。
裏返せば、マンモスのデカさ大きさを正確に伝達できれば人類の生存確率は顕著に高くなるということだ。

この大きさの正確な伝達を可能にしたのが「数字」だった。

「あの遠くにいるマンモス、5メートル」「こっちの近いマンモス、3メートル」
「ならば3メートルの近い方のマンモスを全員で可及的速やかにフルボッコにし、然るのち遅れて接近してきた5メートルのマンモスをこれまた全員で返り討ちにする。油断すんなっっ」

ってな風情で情報把握と伝達が恐ろしく正確になり、さらに文字発明にまつわる言語全般の洗練も合流して指揮命令系統までがしっかりとしてきた。

中でもやはり数字によってマンモスの大きさを精度高く表現・伝達できたことが人類の生存確率向上に一役買ったのだ。



文字で思考を可視化、数字で思考を正確に可視化

「あのマンモス、デカい」
     ↓↓ 数字
     ↓↓ 発明
「あっちのマンモス5メートル。3メートル以上は現在の文明水準では太刀打ちできない。だから逃げるべき」

数字以前は「あのマンモス、デカい」止まりだったので、思考は可視化できていても正確性が極めて低かった。
だが数字発明以後は、
「あっちのマンモス5メートル。3メートル以上は現在の文明水準では太刀打ちできない。だから逃げるべき」といった緻密な思考を可視化できるようになった。
だから人類の生存確率は高くなったのだ。


 思考の解像度が数字によって向上

文字によって人類は思うと考えるを可視化して伝えることが可能になった。
だが可視化の解像度が低いのがネックとなり霊長類の長というには物足りないものがあったのだ。
感覚としても、
「ヤバい」「デカい」といってるだけの奴らが霊長類の長ってのは納得できない所だろう。
なんといってもマンモスが浮かばれやしない。

文字発明からしばらく経ってやってきた「数字発明」がマンモスに引導を渡すことになった。
数字は「5メートルのデカいマンモス」「2メートルのしょぼいマンモス」と敵を的確に表現できるようにさせ、つまり可視化精度を飛躍的に向上させマンモスとの戦いを圧倒的優位に導いたのだ。



数字による価値の可視化


うーん、
今日は「数字による大きさの可視化」といったところまでしか伝えられなかった。
「数字による価値の可視化」まではどうやら届かないようだ。
この後、
「数字はモノコトの価値を正確に伝えられるようにした。そのことを通じて貨幣というものの流通が円転滑脱になり、貨幣はモノコトの取引価値を正確に伝達できるため「良いものは高く。悪いものは安く」という貨幣経済の基本原則が世の中に浸透し貨幣経済が機能するようになった。そのことによって価値の可視化がなされた」
と論は続くのだが、
それについては次回以降のヤバい講釈にて。

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