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ダウンタウン病と風来の系譜から紐解く/現代肖像画
ダウンタウン病が関西を席巻したのは1990年代だった。
「ダウンタウン病」というフレーズは関西の人の中でも、最近くたびれてきた年代ならよくわかるはずだ。
ヤンキー二人がボソボソ喋って生真面目な藤本義一を狙い撃ちして挑発したら本当に逆鱗に触れたるような漫才。
怠惰でやる気が感じられない虚無的なコント。
そうした名目生産性ゼロの芸風でダウンタウンは80年代後半から頭角を現した。
このダウンタウンの人気に便乗し、若手芸人が怠惰な芸風だらけになったのが1990年代。
みんな下向いて斜に構えてボソボソ喋る。
ダウンタウン病が蔓延したのだ。
こうして二十一世期を待たずに関西のお笑いは停滞した。
やすし師匠、紳助竜介、ダウンタウン 受け継がれる無頼の系譜
「無頼漢が喋り倒す」という芸風は何もダウンタウンの専売特許ではない。
ダウンタウンはヤンキーをボソボソ喋らせたが、
それ以前に島田紳助がチンピラを喚かせた。
そもそもその源流を辿れば、やすし師匠がヤー公を暴れさせたところに辿り着く。
年代 芸人 憑依媒体
70年代 やすし師匠 ヤー公
80年代 紳助竜介 チンピラ
90年代 ダウンタウン ヤンキー
こうしてみると、
ヤクザからチンピラに、
チンピラからヤンキーへと、
どんどんスケールが小さくなっているのがわかる。
これ以上無頼漢をダウンスケールできなくなったのがダウンタウンの時代だ。
それ以降の若手芸人は何が憑依媒体なのだかよくわかんない「謎芸」になって、空中分解していった。
ジャリズムとか😉
絶滅寸前の人種が芸風最前線
年代 芸人 憑依媒体 絶滅したもの
70年代 やすし師匠 ヤー公
80年代 紳助竜介 チンピラ ヤー公
90年代 ダウンタウン ヤンキー チンピラ
00年代 ? ? ヤンキー
もう一度、先ほどの図を見てほしい。
その時代に絶滅した人種も書き加えてみた。
すると、驚くべきことに、
前時代に芸人さんによって憑依された人種が消滅しているではないか。
ざっくりとした分類だが、
当たらずとも遠からずといったところだろう。
やすし師匠がヤー公に憑依した70年代は、まだまだヤー公が肩で風を切って歩いていた時代だが、80年代に入るとヤー公はめっきり少なくなった。
島田紳助がチンピラに憑依した80年代は、ヤー公が汎用化されてチンピラになった時代だが、そのチンピラすら90年代には自然淘汰されていった。
ダウンタウンがコンビニでたむろするヤンキーに憑依した90年代は、ビーバップハイスクールな時代だったが、真っ当なヤンキーは00年代になると派遣雇用に拾われていった。
このように、
名のある芸人が憑依した風来媒体は次の時代に絶滅するという法則が見出せる。
一瞬だからこそ美しい
チンピラにせよヤンキーにせよ、輝けた期間は非常に短い。
80年代に我が世の春を謳歌したチンピラは、
ヤー公とヤンキーの狭間の世代であり、最初からワンポイントリリーフの風来坊だった。
90年代に一世を風靡したヤンキーは、
風来坊の中における「ゆとり世代」であり、戦争を知らない世代がアルバイト的に風来坊化したものだった。
この文脈において、アルバイトから派遣雇用へとクラスアップをちらつかされたコンビニヤンキーが、本来的なヘタレ根性丸出しでカタギになったという説明が俄然説得力を帯びるから不思議なものだ。
チンピラ…
ヤンキー…
どちらも輝けた期間は非常に短かかったが、
一瞬だったからこそ美しく、人々の印象に残っている。
カーロス・リベラの時代
カーロス・リベラはダウンタウンを語る上で外してはならない人物だ。
アニメ「明日のジョー2」の影の主人公で、見えないパンチの第一人者。
「一瞬だからこそ、美しい…」という台詞で人類初のフラグを打ち立て、
見えないパンチを誇りながら、世界チャンピオン「ホセ・メンドーサー」に1ラウンドKO負けを喫しルンペン化する。
ダウンタウンの松本さんに深夜ラジオでこれでもかとネタにされたのが、このカーロス・リベラなのだ。
この「ルンペン」という属性も、
1970年代には圧倒的な存在感を誇ったが、
1980年代には「乞食」にあっさりとその座を奪われた。
その乞食すらも90年代にはいると衰退し、00年代に入ると「ホームレス」によって完全淘汰の憂き目に遭う。
風来坊の重心 家なき子の呼称
70年代 ヤー公 ルンペン
80年代 チンピラ 乞食
90年代 ヤンキー ホームレス
00年代 ホームレス
このように、
「風来坊の世界」も「家なき子」の世界も、ともに栄枯盛衰が顕著なのだ。
どうやらアウトサイダーの動向を眺めていれば、時代の趨勢を見極められそうな気がしてきたから不思議なものだ。
風来坊の臨界点〜ベルリンの壁〜
それではなぜ、
ヤー公、チンピラと来て、ヤンキーでその風来坊の系譜が途切れたのだろうか?
それは時代背景的にはバブルが弾けたからだろう。
だが、よくよく考えてみれば、
ヤー公がチンピラやらヤンキーに陳腐化したことと、バブルの崩壊は因果が非常に強そうだ。
ヤー公はしっかりと無頼をしていた。
仁義をきり任侠を通し、しっかりと無頼をしないと生き残れない時代だったのだ。
だが日本が豊かになり、チンピラ程度のマイルド無頼でも生きていけるようになった。
仁義を切らなくとも、見た目だけ無頼であればそれで何とかなる。
そんな日本の象徴がチンピラの後にやってきたヤンキーだったと言えるだろう。
世の中の末端にまで豊かさが行き渡り、それと同時にいい加減さすらも末端の末端にまで行き渡った象徴。
それが90年代に学校で泡沫の覇権を握ったヤンキー。
しかし、80年代後半に経済成長が低迷するやいなや、いい加減な人間の頭数が閾値を超えていた日本は、一気に衰退していった。
80年代日本の場末、その末端。
そこにいたのがヤンキーであり、コジキである。
彼らにはアウトサイダーとしてこの日本を支えているという自覚が希薄だった。
従来のヤー公、チンピラ、ルンペンの系譜にはあったレゾンデートルをヤンキーもコジキも持ちえなかった。
いや、存在証明を持たなくとも生きていける豊かな時代が、冷戦という特殊的かつ時限的な特殊要因によって奇跡的に訪れていたのだ。
だが、それは長続きしなかった。
89年のベルリンの壁崩壊に端を発する冷戦終結は、すなわち日本の豊さの終焉であり、ヤンキーとコジキという世の末端へ富が行き渡らなくなる号砲となったのだ。
かくして、
冷戦終結にともない、豊かな日本はヤンキーとコジキを道連れに消滅した。
いつの間にか、
日本はいい加減さを許容できる豊かな国ではなくなっていたのだ。
それから四半世紀を経たが、
未だ日本はそのことを認識できてはいない…