この秋、読みたいnote10葉/言の葉が萌える秋
色褪せない言の葉たちがクラウドにひらりと舞う。
それがnoteというプラットフォーム。
その中でも、決して色褪せることのない普遍的記事を集めてみた。
読書の秋、座右に置いておきたいnoteが必ずここにあるはずだ。
10位
「富の偏り=悪」という常識はもはや過去のもの。
インターネットによって個人情報が商品化され、ひいてはコロナ事変を経て「倫理観」が「可視化」される現代にあって、富は偏るべきものとなっている。
筆者のこの指摘はあまりに斬新で鋭利だ。
異端と呼ばれる存在かも知れないが、それも一過性のこと。
歴史は可及的速やかにこの筆者を言を支持せざるを得ないだろう。
9位
ルンペン、
乞食、
ヤクザ、
チンピラ、
ヤンキー…
こうした風来坊の系譜を不可侵なく紐解きながら現代肖像画に迫る。
この筆者の筆致はときに柔らかくときに鋭く、徐々に、だが確実に核心へと迫っていく。
果たして、現代の肖像画はどこに帰着するのであろうか…
8位
「可能性」と「確率」。
誤用されて使われている二つの概念。
これを筆者は優しく説きほぐしていく。
高僧の説法風情でありながら、読者に親身になって寄り添う姿勢はかつて存在したどの聖者よりも献身的であり、すなわち奇跡である。
「可能性とは確率0%以外の状態」
最終的に導かれた命題は、世界の真理を見事に描写していた。
7位
サブスクリプション論の急先鋒が満を持して登場だ。
筆者は、従来の定額課金モデルに個人情報商品化という概念をプラスしたものをサブスクと定義し、論を進める。
個人情報の商品化が常態化した21世紀日本にあって、この記事が描いた世界は対岸の絵空事ではない。
もはや眼前に迫る対岸の火事から目を背けてはならない。
ベーシックインカムとは国家のサブスクリプションだ。
静かに締めくくられる掉尾は、何よりも誰よりも強く切ない警鐘を秘めている。
6位
この筆者は、長年にわたる筆舌に尽くしがたい禁欲の果てにNHKを解約した。
たかが月額1900円。
されど月額1900円。
テレビを捨て、
車を捨て、
最果てに涙すらも捨て…
NHKの衛星放送受信料支払いをめぐる虚々実々のやり取りは、涙なしでは1ページたりとも捲ることかなわずだ。
あらゆるものを捨てた筆者がたどり着きし地は桃源郷か伏魔殿か、はたまた黄金郷か。
渾身のドキュメントがnoteにまた1ページ…
5位
経済に造詣に深い筆者による意欲作。
最近何かと騒がしいベーシックインカム界隈。
このベーシックインカムの本質を「情報課税」と喝破。
言われてみれば、確かにそうだ。
最低所得を給付される見返りに、我々は個人情報を国家政府に納付することになる。
これでは、金銭ではなく、情報での納付ではないか。
富と貧しきの格差が際限無く深くなる現代社会において、
国家が金銭で徴税するのは困難になっている。
だから、かわって国家は情報での徴税を開始しようとしているのだ。
この筆者の指摘はあまりに冷利である。
ベーシックインカム改め、
迫り来る情報徴税の時代。
我々はひと足さきにその時代に備えることができる。
4位
タイで国民の8割に対するベーシックインカム支給が発表された。
この筆者の眼光紙背はことの裏側に隠れた本質を決して見逃さない。
タイのベーシックインカムはデジタル通貨導入でなされる。
ここに個人情報を収集するカラクリが潜んでいた。
タイにおける最低所得保障は、
デジタル通貨による個人情報吸い上げとセットでなされる。
ベーシックインカムとは個人情報と最低所得の交換取引だ。
裏側に潜んでいた本質を白日のもとに晒した出色の記事。
読者も是非その目で、歴史的瞬間を味わって欲しい。
3位
貧富の格差問題に、タワマンという補助線を引いて、見えなかった怪物を抉り出した新機軸記事。
かつてのお金持ち家庭にいたお手伝いさんが、現代ではタワーマンションの管理人さんに汎用化されて……という指摘には、なるほどと首肯させられることしきりだ。
ルンペン、
乞食、
ヤクザ、
チンピラ…
そして、お手伝いさん、、
いつの間にか消えた概念は、必ず何かになって汎用化されている。
この移り変わりを見抜けるものだけが、時代の趨勢を語ることが出来る。
時代の趨勢を雄弁に語りたくば、この記事を読まなければならない。
2位
デジタル化とAI開発には密接な関係がある。
デジタル化とは人間用の情報をAI用の情報に翻訳する行為だ。
つまり、デジタル化を推進することで、この世にAI用の情報が増加していく。
結果、AI開発が加速していくのだ。
言葉にしてしまえば簡単だが、そこまでが難産だ。
案ずるより産むが易し。
これからも言葉を紡ぎ、世の中に利便をもたらしていきたい。
筆者の想いがほのかに薫る柔らかな記事だ。
1位 \(^o^)/
老人であるだけで慕われる時代は終焉した。
感情論で語られがちな老人論だが、この筆者は確固としたエビデンスに基づき論を進める。
需要と供給における、供給激増による老人の価値減少。
老人からインターネットへと生き証人の地位が禅譲。
阪神淡路大震災、東日本大震災、コロナ事変…、
相次いだ自然災害における生き字引の無力ぶり…
なぜ老人が慕われなくなったのか?
その問いに対する明確で精緻な論理は、明日を照らす灯火になりうる。
老人が灯火だった時代は終わり、新たな灯火が求められている。
それがインターネットではあまりに寂しすぎる。
明日を照らしだす灯台はいつまでも人であって欲しい。
強く熱い想いがこめられた入魂の記事がnoteに舞い降りた。