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大阪梅田で暮らす/「トシチカ」生活の舞台裏
大阪梅田の再開発にこれまでと異なるベクトルがかかっている。
従来、大阪梅田といえば働く街だった。
ところが、今般の再開発では大阪梅田を住む街としても再開発しているのだ。
果たして大阪梅田で住む暮らしというのはどんなものなのだろうか。
なぜ淀屋橋方面に地下街が広がらないのか?
いきなりマニアックな問題提示で申し訳ない。
だが、これは非常に重要なことだと思うのだ。
大阪梅田の地下街はのっぴきならない事情で淀屋橋方面に広がっていない。
結論から述べれば、大阪梅田と淀屋橋の間に「米国総領事館」があるため、それに忖度して地下街を通せていない。
これが筆者のグレージュの脳細胞が導き出した結論だ。
大阪梅田を利用する人ならわかると思うが、大阪梅田と淀屋橋エリアを地下街で結べば非常に利便がよくなる。
なのにアメリカに忖度して地下街を通さないというのは、あまりに腰が引けているのではないか。
そして、何より地下街を通さないことで本来我々が享受するべき経済効果が溶けてしまっているのだ。
大阪梅田は本来のパフォーマンスをまるで発揮できてはいない。
現下において、大阪梅田北部の開発が盛んだが、
経済活性化という視野に立てば、焦眉の急は、大阪梅田と淀屋橋の地下でのアコードをおいて他にない。
淀屋橋は大阪梅田の南側に位置する。
再開発が推進されている大阪梅田北部の真逆に当たる。
[再開発エリア]
大阪梅田
↓
米国総領事館
✖️地下街✖️
大阪市役所
↓ 中之島図書館
淀屋橋
つまり、
経済活性化という視座に立てば、
そもそも見当違いの方角に再開発エリアを設定しているのだ。
日本が豊かになるという方角ではない、どこか別の方角を向いた再開発である。
駅チカライフスタイルという「美味しいとこどり」
大阪梅田に住むというライフスタイルが喧伝され始めている。
一昔前も大阪梅田ほどではないが、それなりに大きな駅に直結した高層マンションに住まうというライフスタイルが喧伝されていた。
いわゆる駅チカ・タワマン暮らしは2010年代に浸透したライフスタイルだ。
だがタワマン暮らしは人々の間に強い亀裂をもたらした。
タワマン暮らしは簡単化すれば「美味しいとこどり」だからである。
駅を重心として南北に山手と下町がそれぞれ広がっていく。
山手は閑静な住宅街を担当し、下町は商業地区と賑やかな人々のサラダボールだ。
この閑静と賑やかの狭間、住宅エリアと商業エリアの狭間、
この最も美味しいところに駅が軒を構え、不文律によって人々は駅チカを緩衝地帯として避けた。
衝突を避ける叡智である。
山の手の富裕層には駅チカに住む財力があったが、自重してそれを避けた。
駅チカに住むということは、
貧富が限りなく接することであり、それは無用な衝突を生む。
だから、富めるものはもちろん貧しきものも駅チカを避けてきたのだ。
緩衝地帯としての駅が両者の均衡装置として機能していた時代である。
ところが、
21世紀に入りこの駅という緩衝地帯にタワマンが建立され、瞬く間にタワマンへと余所者が流入してきた。
その街で最も利便性がよく、だからこそ誰もあえて住まなかった駅チカに、余所者がこぞって流入してきた。
これではその街の人々が面白いはずはない。
その街の富裕層から見ても、それ以外から見ても、面白かろうはずはない。
タワマン暮らしは「美味しいとこどり」だからである。
トシチカ住まいは美味しいところどりか?
2010年代に浸透した「駅チカ&タワマン暮らし」は、
余所者による美味しいとこどりの色彩が強い。
では、2020年代に浸透しつつあるトシチカ住まいはどうだろうか?
大阪梅田にはまとまった先住民はいない。
これといって山手も下町もなく、富める者とそれ以外の対立構図もない。
だから、大阪梅田駅には緩衝地帯としての機能がそもそもなかった。
これは他の駅と大阪梅田が一線をかくすところだ。
緩衝地帯としての機能がなかった大阪梅田駅近辺にタワーマンションが建立され、そこに人々が住むようになっていく。
こうなると先ほどとは話しが変わってくる。
大阪梅田の場合には、
近隣の富裕層があえて住むのを避けていたのではなく、そもそも近隣に先住者がいなかったのだ。
したがって大阪梅田の場合には「美味しいところどり」と白眼視される覚えはない。
この点において、大阪梅田でのライフスタイルは優れていると言える。
大阪梅田生活は便利なのか?
大阪梅田はなんでも揃う。
駅前には名だたる百貨店が林立し、15分ほど闊歩すれば下町情緒溢れる天神橋筋商店街に辿り着ける。
また勇気を振り絞ってアメリカ総領事館方面に20分ほど歩を進めれば、大阪市役所と中之島図書館だってある。
だが、、
いかんせん、、、間延びしているのだ。
徒歩20分圏内であれば、という注釈付きでの『なんでも揃う』なのだ…
なまじ景観やアメリカの安全保障を重視しているため、施設の密集度がさほど高くない。
ここに大阪梅田の課題が垣間見える。
Amazon in MATANA前提の生活?
ただし、現代では買い物に出向かなくとも、宅配サービスなどが充実しており、家にいながら様々なサービスを享受できる。
だから、先ほど述べた各種施設が間延びしているという課題を、特に問題視しない人々が集まるのだろう。
考えてみれば、駅チカ・タワマンライフスタイルが浸透した2010年代にAmazonなどの宅配付きサービスなどが充実したのだった。
したがって、Amazonなどの宅配付きサービスなどがさらに充実したからこそ、大阪梅田での暮らしが可能になったとも言えるだろう。
だとすれば、この大阪梅田での優雅なライフスタイルは、
AmazonなどいわゆるMATANAへ所得収支が抜けることを大前提にした暮らしである。
AmazonをはじめとするMATANAはアメリカの大企業セグメントであり、これを利用すれば利用するほど日本の国富は減少する。
すなわち日本人は貧しくなっている。
つまりだ。
大阪梅田で生活するということは、日本人を貧しくすることを大前提にした生活なのではないだろうか。
駅チカからトシチカへ 加速する日本の貧困
2010年に浸透した駅チカ・タワマンライフスタイルは、Amazonを筆頭とするネット通販を前提にした生活であった。
2020年に浸透しつつあるトシチカライフスタイルは、さらにAmazonを筆頭とするネット通販を大前提とした生活だ。
これは日本の国富を減少させることに等しく、駅チカタワマンよりトシチカの方がより国富の流出が大きいのは明白だ。
すなわち、大阪梅田での優雅な生活は、日本のさらなる貧困の上に成り立つ生活なのではないか。
かたや、駅チカ・タワマン暮らしは、基本的にその街の先住民から後ろ指をさされる程度だった。
かたや、トシチカ暮らしは、日本人全体から後ろ指をさされる程度だ。
大阪梅田での生活をやめろとは言わない。
私だってやれるものならやってみたい。
面の皮があと10cm分厚かったらやってみたい。
大阪梅田での生活をやめろとは言わない。
だが、せめて、
自分たちの暮らしが日本を貧しくしているという自覚。
その自覚と阪急電車愛だけは絶対に忘れないでもらいたいのだ。