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【最強AIもやってる将棋上達法】弱者の棋譜並べ

将棋上達の王道は何と言っても棋譜並べだ。
だが従来の「自分より強い奴の棋譜並べ」には欠陥があった。

それは意味を理解できないということだ。

頭のいい奴のことは理解できない


人間の頭というのは実にわかりやすい。
自分より頭の悪い奴の思考は理解できるが、
自分より頭のいい奴の思考は理解できない🥴

この現象についてこれ以上の説明はいらないだろう。

だが何故か昔から将棋界隈では「強い奴の棋譜を並べろ」という「すゝめ」がある。
野球界隈でも「前田のスイングをお手本にしろ」という「すゝめ」がある。

強い奴の棋譜を並べる。
完成されたスイングの持ち主を真似る。

これらは一見して合理的なように思える。
だが、大切な、本当に大切なことが置き去りになっている。
それは「試行錯誤」と「理解」だ。




抜け落ちた試行錯誤

将棋が強い奴も、元広島カープの前田智徳もいうなれば完成品だ。

ジャンルを横断して完成品には共通した理由がある。

完成品に共通した理由とは「すさまじい試行錯誤」だ。

すさまじい試行錯誤の果実としての強者であり完成品なのである。

試行錯誤⇨試行錯誤⇨試行錯誤⇨試行錯誤⇨試行錯誤⇨試行錯誤⇨試行錯誤⇨試行錯誤⇨試行錯誤⇨試行錯誤⇨試行錯誤⇨試行錯誤⇨試行錯誤⇨試行錯誤⇨試行錯誤⇨「強者」⇨ 完成品

😉

試行錯誤をスキップしていきなり強者にはなれない。
ましてや完成品になれるはずがあろうか。

だが従来の「強者の棋譜並べ」は、試行錯誤をスキップして強者になろうという試みに他ならない。




ずっと、何言ってんのかわかんない…

試行錯誤⇨試行錯誤⇨試行錯誤⇨試行錯誤⇨試行錯誤⇨試行錯誤⇨試行錯誤⇨試行錯誤⇨試行錯誤⇨試行錯誤⇨試行錯誤⇨試行錯誤⇨試行錯誤⇨試行錯誤⇨試行錯誤⇨「強者」⇨ 完成品


棋譜並べ⇨「強者」⇨ 完成品

理解できない強者の棋譜を並べ、「感覚が染み付いていく」と念じる。
「感覚が染み付いていく」とは何言ってんのかちょっとまったくわかんない。
棋譜並べをすれば感覚が染み付いていくと言われて久しいが、このちょっと全然わかんないフレーズ自体が進歩しない。
ずっと「感覚が染み付いていく」のまま100年以上が経過している。
よくわからない言葉が流布するのにはこれまた理由がある。
よくわかんない言葉が流布する理由とは、誰もよくわかっていないからだ。

この世の中には気の利いた奴がいるから、分かりにくい言葉があればドンドンドンドンもっともっと分かりやすい言葉に翻訳されていくものだ。
それが文明というもの。

ところが「棋譜並べをすれば感覚が染み付いていく」という何言ってんのかわかんない言葉はちょっとぜんぜん翻訳されてこなかった。

何故か?

それは誰もこのフレーズの意味がよく理解できないからだ。
理解できないものは翻訳できないのである。



従来の棋譜並べの問題点


「強者の棋譜並べ」の問題点は「理解できない」という一点に尽きる。
理解できないものは言語化できない。
人間は言語によって駆動するから、言語化できない概念を脳内で駆ることはできない。
だから強者の棋譜並べから得られるものはごくごくわずかしかない。
強者の棋譜並べから得られるものは、強者の中に垣間見える弱者。

その極々僅かから将棋指しは学んできたのだ。




弱者の棋譜から学べ!


強者の棋譜は理解できない。
では一体どうすれば棋譜を理解して強くなれるのだろうか。

答えは極めて簡単である。

理解できる棋譜を並べればいい。

つまり、自分より弱い者の棋譜を並べれば良い。
自分より弱い者の棋譜は何をやっているのか理解できる。
手の意味が手に取るように理解できる😉

そして、ここからの一行が何より重要なところだ。

自分より弱い者の棋譜を並べていくと、試行錯誤の構造がわかる。




試行錯誤のやり方を学べ


なぜ、試行錯誤が重要なのだろうか?

自分自身の試行錯誤は分からないからだ。
自分が必死になって何かに取り組んでいる時には、自分が何をやっているのかは見えない。
だから自分自身の試行錯誤は分からないのだ。

この自身では認識することのできない試行錯誤というものを、弱者の棋譜並べは教えてくれる。

試行錯誤は自分自身でその構造を認識しずらいことは既に述べた🥴

自分で試行錯誤をしても、試行錯誤の構造を認識できないのだ。
だから自分だけの試行錯誤では試行錯誤の再生可能性が乏しい。
そこで他人の棋譜が重要視される。
ところが強者の棋譜は理解できないため、試行錯誤や努力の構造を捉えることができない。
だから弱者の棋譜が重要になるのだ。
弱者の棋譜は理解でき、弱者の棋譜を時系列に沿って並べることで試行錯誤の構造すらも理解できる。


試行錯誤とは何か?
努力とは何か?
成長とは何か?
38年前の少年ジャンプが何故あんなにも熱かったのか?

それがわかるのだ。


構造を理解せよ


将棋界隈では、AIの指摘する一手を丸暗記する風潮が広まっている。

これはホームラン級に馬鹿らしい話だ。
AIという宝の持ち腐れだ。

何故ならもっとやらなければならない事があるからだ。

もっとやらなければならないこととは、試行錯誤の構造そのものを理解することだ

AIにも試行錯誤はある。
それはAIの指す一手一手を見ていても分からない。

AIの試行錯誤の構造とは、
AIは人間から学んだということ。
AIは人間という「弱者の棋譜」から学んで強くなったのだ。


我々人類もAIという強者から学べばいいのだ。
AIという強者は人間という弱者から学び続けた。
人間という弱者を定点でかつ連続的に観測することで、その試行錯誤の構造を学び、その成長の基本構造を凄まじい反復運動によって自家薬籠中のものにしたのだ。



強者と弱者は繋がっている

先ほど「自分より頭のいい奴の思考は理解できない」といったニュアンスで述べた。
確かにその通りなのだが、ことAIに限ってはこの公理は通用しない。
何故ならAIとは人間が作った代物であり、人間でもその構造を理解できる唯一の強者なのだ。


だから、AIからその成長構造を学べばいい。

AIの成長構造とは「弱者の棋譜から学ぶ」だ。

これを我々人類も敷衍すればいい。

弱者の棋譜からその成長の過程を眺め、試行錯誤とは何かを理解すればいいんだ。

AIと弱者から学ぶべきなのは目先の一手ではない。
AIと弱者から学ぶべきなのは試行錯誤の構造そのものなのだ。

強者からも弱者からも試行錯誤の経緯を学ぶ。
結果、人類の成長構造が見えてきた。


有史以前より、
人類は強者の中の弱者試行錯誤から学んできたのだ。

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