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『叱るひと』を脱するために『前さばきがうまいひと』になろう

コルクラボの定例会があって、サディこと佐渡島さんと村中直人さんの対談を聞いた。村中さんは大学の講師もされている心理士の方だ。ぼくは著書の『叱る依存がとまらない』で知った。

今日は『叱る』を中心にいろんな話が展開された。

叱ることは相手にガマンをさせる機会を生み、それはあきらめや無力感を持たせることにつながるのでやめようという話からはじまり、叱らないじぶんであるためにはどうしたらいいのかというところまで踏み込んでいく。

ぼくは子どもに「宿題が先!やることをやってからYOUTUBEを観なさい」とよく声をかけるんだけど、完全に叱っている。他の方法で、動機付けをしたいんだけど全くうまくいかなくて困っている。

その相談を村中さんにぶつけたところ、新しい視点を頂けたので今日はそのことを書こうと思う。

子育ては起こる出来事に対応する場面が多い。子どもが宿題をやりたくないとゴロゴロし始めたらすでにやる気を失っている出来事に対応する。また、食事中にごはんをこぼしているのなら、こぼしているという出来事が起こってしまっている。

行動として『後さばき』のものが多いといえる。

後さばきは出来事に対しての動きなので、回数が増えていっても根本の解決にはたどり着けないという特徴を持つ。

対して『前さばき』が存在する。

ムスコはお菓子を食べてもポロポロこぼすので、そのたびにぼくは妻と拾いあげてしっかり持ちなさいと叱っていた。これは後さばきの行動なんだけど、ある日ぼくは公園でムスコにこんな話をしたことがある。

「こぼしてしまうと食べる量が少なくなってしまう。4つあるお菓子が3つになったら残念だね」

そのあとムスコは大事そうにお菓子の袋を持ち、こぼさずに食べきったのである。これが前さばきの行動だ。

前さばきは先に起こることを予測して、手を打つ行動だ。ぼくはこの出来事を前さばきの成功体験とは思わず、たまたま運よくムスコがこぼさなかったのだと考えていた。

ひとは不思議なもので失敗には注目するけど、成功には期待通りだとスルーしがちた。

別の場面で話そう。

仕事をしていると、なんでもうまくこなしてヒマそうにしている人がいる。あんまり働いていないようにも見える。一方、残業をしたり、バタバタと仕事をさばいてがんばって結果を出しているひともいる。

前者は前さばきのひと、後者は後さばきのひとといえる。

どちらの話にしても、後さばきのほうが動いている感&働いている感を感じやすいところに注目してほしい。

子育ては、ポロポロこぼすお菓子を拾うほうががんばっているとみられがちで、仕事は残業しているほうががんばっている(最近はなくなってきたけど)とみられがち。

大変な出来事に対応する動きが仕事で、大変な出来事が起こらないようにする動きは仕事として見られにくい。

村中さんは「ガマン、苦痛がともなうものをクリアすることが素晴らしいのだ、という価値観が存在した時代もあった」と語る。

ああ、昔の体育会系部活動の雰囲気が思い出される。

しかし、ぼくはまだその価値観の中にいるのだと思わされた。

後さばきは出来事の予測ができていないときに突発的に起こる。しかし、多くはじぶんの期待通りにいけば起こらないはずだと思われているものだ。

ごはんをこぼしたり、仕事がうまく進まず残業するのはいわゆる『期待外れ』というやつだ。そして、困ったことに、期待外れは怒りや悲しみの感情を生むらしい。

そう、それらの感情の向かう先が『叱る』なのであーる。

まとめると、、

叱らないひとであるためには、先を予測し、前さばきのできるひとになる必要がある。また、前さばきの価値を自覚することも大事である。

そのためにはじぶん自身に対してオーナーシップを持ち、受け身にならず能動的にものごとに関わっていく気持ちを持つこと。

また、家庭や子育てであれば『家族会議』を行い、ひとつのものごとに対して家族で話し合い、お互いの考えていることを知ることもいいらしい。話し合うと予測につながる情報収集にもなりそうだよね。


今宵は穏やかに生きるためのヒントを頂いた。家に帰ったらさっそく家族会議から始めてみようと思う。

「またパパがおかしなことを言い出した」と言われそうだけど。

それでは今日も読んでくただりありがとうございました。



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