『個人的主観』
この
世の中
には
沢山の
作品
と 呼ばれるモノがあります。
例えば
映画・音楽・小説・絵画 etc…
それらの
作者
は 何かを
個人的主観
に基づいて
表現
し
伝える
と いうコトを 考えているのでしょう、
と僕は
考えます。
って、この
考えます。
も、
個人的主観
なんですよねぇ…
僕の考え
は
単なる
僕の考え
でしか無く
他人
にとっては
そうじゃない コトだって多いに決まってる。
だって
他人
だから。
この世の 全ては
個人的主観
の
寄せ集め
で できている。
という
僕の
個人的主観
人間
は
皆
個人
であり
個人
で あるからこそ
同じ
は 絶対に
無い
のです。
という
僕の
個人的主観
この
個人的主観
を
表
に
出す
か
出さない
か
も
個人的主観
であり
個人の自由
なのである。
という
僕の
個人的主観
要するに 何が 言いたいか
ってぇと
例えば
ある 作品 に対して
作者が
意図しているモノ
は
作者の
個人的主観
な だけであり、
それを
他者
は
個人的主観
に基づいて
自由に
感じればイイ
のです。
そこに
正解
も
不正解
も
皆無
です。
という
僕の
個人的主観
全ては
個々の
感性
の問題であって
本来ならば
それに 対して
とやかく言うコト
や
それに 対して
共感
しなきゃいけない
という
風潮
は
馬鹿げている。
という
僕の
個人的主観
って、考えてると
世の中の 全ては
マスターベーション
と 同じ
自己満足
の
塊
でしか無い
という
僕の
個人的主観
例えば
ある評論家の〇〇さんが 〇〇の映画はつまらない
なんてコトを 聞いたからと言って
それは
その 評論家の
個人的主観
でしか無く
それを
判断基準
に して
決めつける
のは
とても
馬鹿げている
と思う。
という
僕の
個人的主観
「百聞は一見に如かず」
全ては 自分自身で
判断するべき
なのです。
という
僕の
個人的主観
例えば
〇〇の店の あの料理は美味しく無い
という
情報
も
単なる
個人的主観
からの
好みの問題
であって
それを 参考に その店に足を運ばないのは
とても
馬鹿げている。
という
僕の
個人的主観
僕の
個人的主観
から
言わせてもらえるのであれば
自分自身で体験しろ!
です。
そして
自分自身
の
個人的主観
を
もっと
大切にしよう!
って 言いたいだけです。
まぁ、
どうってコトありません。
ココに 書かれている内容は 全て
僕の
マスターベーション
であり
個人的主観
でしか無いので
僕の
マスターベーション
に
共感する
も
しない
も
皆さんの
個人的主観
で
判断
して頂ければ 良いのです。
でも
僕の 単なる
マスターベーション
に
付き合って頂けるのであれば
それは それで
気分は良好
です。
っていう
僕の
個人的主観
って、コトで