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大正生まれバリキャリウーマンの祖母の話。

小さい頃の思い出は、両親より、祖母と過ごした時間の方が多い。
それくらい私は、おばあちゃんっ子でした。

と言っても、祖母はほとんど家にいませんでした。
なぜなら彼女は、大正生まれのバリバリ働くキャリアウーマン。
全国、海外を飛び回っていました。

当時では珍しく、保険会社で営業をしていました。
その傍らで、皿作りの家に生まれた娘でもあるので、国内問わず、海外に食器を紹介したりもしていたそうな…。


あれ?当時って副業OKだったかな…?


………………ゴホンゴホン。


生きていたら、100歳くらいでしょうか?
私が10歳になる頃に亡くなりました。


私には両親がいたけど、毎日こんな感じだったので…



祖母は、孫の私のことを気にかけてくれていました。

それは、心配してくれていたのか…


罪滅ぼしだったのかもしれません。


祖母が生きていた頃は、毎年お正月に、祖母の家に親戚の人たちが集まりました。

そして、昔話に花が咲く。



辛かった過去もネタにして、笑い飛ばす強い人。


私の祖母の思い出で、一番覚えている出来事は…

幼稚園の頃、私が自転車に轢かれそうになった時、祖母はハイヒールを履いたまま自転車を追いかけて捕まえてくれました。


我慢することに慣れてしまって、わがままを言えない私に、映画「プリティウーマン」のリチャードギアのように、お買い物に連れて行ってくれることもありました。


家にいるときも、いつも仕事をしているようでした。
思い返すのは、誰かと電話をしたり、帳簿をつけている姿。


歳をとっても、働き続ける祖母はとてもカッコよくて、憧れでもありました。


ですが、たまに不機嫌になることも…。


その祖母の様子を見て、私は幼心なりに、「働くって、大変なんやなぁ」「…ていうかこの外国人誰やねん」と、思いながら、その様子を眺めていました。

ですが、大人になった今は、そんな大人の事情もなんとなくわかります。


大正生まれのシングルマザーの祖母が、保険会社の営業で働く。
本業と育児と家事で大変なのに、副業までする。

世間の目は、きっと厳しかったに違いない。

現代とは、きっと比べようがないほど。


…あ、また思い出しました。


祖母の口癖。



この台詞は、私が覚えてる限り、幼稚園の頃から何度も聞かされました。
もしかしたら、もっと前から言われ続けてるかもしれない。



「そういう未来が来ることを信じている。」

そんな願いを込めて言ったのかもしれません。


一方で、母はというと…

「働いたら負け」以上に「働いたら終わり」のような人でした。

…まぁ、今の60、70代というと、こういう考え方の人は珍しくないと思います。


むしろ、祖母の考え方の方が、当時は珍しいはず。


私はそんな、正反対の考えを持つ、母と祖母と過ごしました。
その間も、父は、絶え間なくゴミハウスで元気よく荒くれました。


子どもの頃の私にとって「働く」ことは、「憧れ」でした。

それともう一つ…


「働くこと」は、決められた環境から脱出する手段と思っていました。
それは、どこにでも行けるパスポートのようなもの。


そして、働き続けるなら、「好きな仕事をしたい」。

私は、絵を描くことが好きだったので、イラストレーターの道に進みました。

しかし、現実は甘くありませんでした。


私が10歳の頃に、祖母が亡くなり、家族の理解者がいなくなりました。


両親は、私が学費の高い美大に行くことを反対しました。特に母は、私に「普通の大学に行って、普通の会社に入って結婚して欲しい」と、よく言っていました。

ですが、諦められない私は、イラストの仕事に関わりのある出版や広告のことを学べる、一般大学の社会学部に進学することにしました。絵は独学でした。


その後は、グラフィックデザイナーになり現場を学んでから、イラストレーターとして独立しようと考えていました。

しかし、ここでもうまくいかず、会社は1年に3度も転職、待遇がブラックで、体調を崩してしまうこともありました。


それでも、ギリギリで踏ん張ることができたのは、祖母のあの言葉が胸に刺さっていたから。


諦めずに転職を繰り返し、4度目の会社でグラフィックデザイナーとして雇ってくれるところに出会い、3年間働いた後にイラストレーターとして独立しました。

そのあとは、営業、発信、紹介、交流会、コンテスト…思いつくことは何でもしました。


そして、イラストレーターの仕事が軌道に乗り始めた時に、今の夫に出会い、結婚して、ほどなくして息子が生まれました。


それが2013年。
祖母が亡くなって20年がたっていました。

この時初めて私は、祖母の本当の夢を知ることになります。

この頃は息子が生まれたこと、また私の仕事が軌道に乗り、少し心にゆとりができたことで、親との関係が変わり始めていました。

そんな時に、母が、体調を崩して緊急入院することに。


病院の待合室で、私は父と二人きりになりました。

とても気まずかったのを覚えています。


私は何か会話をしようと、父に、祖母のことを聞きました。

無視するか、大きい声をあげるか、ヒヤヒヤしましたが、父は予想外に、祖母について知っていることを話し始めてくれました。

父と30分以上まともに会話をしたのは、この時が初めてでした。


驚きました。

祖母は、私と同じ、絵描きを目指していたそうです。

戦時中、周りの人たちが竹槍で敵の飛行機を撃ち落とそうと一致団結している時に、一人、芸術を学ぶために「パリに行く!」と言っていた祖母。

親戚、学友、先生…周りからは、異常者扱いされていました。

周りがどんどん結婚する中、絵描きになる夢を諦められず、女学校を2度も通ったそう。それでも海外留学することを反対され続け、女学校を卒業した頃に結婚しました。

その相手が私の祖父。
お互いお皿の会社同士、当時で言う「政略結婚」というものでした。

でも私は祖父には会ったことありません。
祖母はシングルマザーだから。

祖父は、一度だけ浮気を疑われることをしてしまったみたいです。
当時は、夫の浮気の一つや二つは、珍しくもないという時代。

ですが祖母は、周りの意見を無視して離婚を決意。


裕福な家庭を自ら捨てて、親戚とも縁を切り、シングルマザーになり、保険会社で働きながら、女手一つで、父と叔父を育てました。

その時代に、育児、家事、仕事を一人でこなすことは、想像を絶する大変さだったと思います。

実際、父、歪んでしまったし。



夢を持つことを異常者扱いされる…
離婚することで好奇な目で見られる…

そんな状況の中でも、好きなことをし続けようと、自分の心を守り続けた祖母。

「時代」に、いい、悪いなんてないけど、祖母みたいに、ハッキリとやりたいことがある人には、とても生き辛かったと思います。

現代みたいに、ネットもなければ、SNSもない。
理解してくれる人が誰もいない。

どれだけ毅然に振舞っていても、笑い飛ばしていても、心の中はわからない。

孤独だったと思う。

その頃の祖母に会いたい。
会っていろんな話をしてみたい。

祖母として、また、強く生きた一人の女性として。

子どもを育てながら、同じ夢をもった今の私に、祖母は何を話してくれるだろう。

保険会社で営業してた話とか、副業の話とか、育児の話とか、あの謎の外国人の友達の話とか、本当は辛かったこととか。たくさん聞きたい。

父は祖母の話を終えたあと、独り言のように呟きました。





私は、知らない間に祖母の夢を継いでいました。

そういえば、晩年はパリに何度も行っていたし、水彩画や油絵も描いていました。
たくさんある趣味の一つだと思っていました。

今思えばそれは、昔、我慢していたことの、反動だったのかもしれません。

でも、なんで祖母は、絵描きを目指していたことを小さい頃の私に言わなかったのだろう?

もう諦めてしまった夢だから?

私が絵を好きになった時は、違うことに興味があったから?

もう誰かに夢を否定されるのが嫌だったから?

それとも、自分の夢を押し付けたくなかったから?

私が、自分自身で、夢を見つけて欲しいと思ったから…?


もう亡くなっているので、確かめることはできない。

私は、結果的にイラストレーターとして活動できるようになりました。

だけど肝心の絵の技術は、祖母の方が断然上手だと思います。


きっと、祖母が生きた時代では、私は絵描きとして生きていけなかったと思います。

お金がなくても意思さえあれば学ぶことができるインターネット。
たくさんの人たちに作品を見てもらえるSNS。
実際に会わなくてもネットを通して、繋がることができる、仲間。

この時代の恩恵を受けて、私は好きなことをして生きている。


うん。確かに、時代は変わりました。

昔に比べたら、女性も働きやすい時代になりました。最新の家事家電はとても便利だし。

でも、簡単に、「楽になった」とはいえません。


昔に比べて、安定や年功序列制度がなく、共働きで働かないと生活が厳しい家庭も増えたと思います。我が家もそうです。

昔よりも、家事と育児と仕事を夫婦がバランスよくこなさなければならない。
育児を手伝ってくれる親戚と一緒に暮らす人も少ない。

実際に、私は妊娠、出産、産後を経験し、仕事への復帰もしましたが、体も心も想像以上に疲労し、救急車で運ばれる事もありました。


そんなボロボロの状態で、育児をしながら、働きながら、平和な家庭を築くというのは困難なことです。

みんな、言いにくいだけで、ギリギリのところで踏ん張っている人が多いんです。

シングルマザー、シングルファーザーの人は、時代関係なく、大変だと思います。

たくさんの人が乗り越えてきたことが当たり前なんじゃない。当たり前じゃないことを限界突破して頑張っている人が多いだけ。

ただ、それが、祖母と私の時代とで違うのは、今は、その声が届けやすくなっているということ。

ネットやSNS、こんなふうに、noteで書いたりすることで。気持ちを伝えることができる。一人じゃないって気づくことができる。誰かの言葉が、誰かを救うこともあると思う。

まだまだ、厳しい世の中ではあるけど、
祖母の時代に比べたら、女性は働きやすい環境になったんだと思います。

武器を磨けば、道は自由に切り拓ける。

「好き」な気持ちは、大きなエネルギーになります。
育児中で時間がなくて、大変な時だからこそ、好きなことを優先したい。

むしろ、妊娠出産育児が大変なお母さんたちこそ、好きなことをして生きて欲しい。

そんなお母さんが増えて欲しい。もちろんお父さんも。
そしたら、その子どもたちも「働くことは楽しい」って思えるはず。

私にとって、祖母の存在がそうであったように。

祖母が私に教えてくれたことは、「言葉」じゃない。
「生き様」を晒して見せてくれました。

時代に逆らってでも、孤独になっても、好きなことをして生き続けようとする姿。


たまに飲んだくれて荒れ果てた姿まで。ありのまま。

今はもっと軽やかに、そこまで力まなくても、うまく行くはず。

時代が味方になってくれるはず。

そう「信じてる」だけじゃなくて、私自身が「働くことは楽しい」を晒していきたい。


おばあちゃんが見たかった世界を、私も見たいから。


おわり




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川口真目(Masami Kawaguchi)
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