分かる人にだけ分かる真の知者【きまぐれエッセイ】
真の知者は言葉数が少ない。
尋ねられれば答えるが、知をひけらかして他人に押し付けるようなことはしない。べらべらだらだらしゃべくる者は大概、知のない者と相場が決まっている。
道(タオ)を体得している人は、自己コントロールができていて欲がなく無心であるがまま、己の才覚に自惚れることなく、その鋭鋒、舌鋒、感受性をあえてマイルドにして、物事は、ややこしく難しくせず、いたってシンプルにとらえ、たとい問題があったとしても、粋にスマートに処理をする。
玉座に臨席できる風格を持ちながらも、あえて高貴精妙な光をやわらげ、目立たぬようにし、世俗の価値観も否定せず受け容れる。
泥臭いことも厭わず、何事も嬉々としてこなし、しかもイイ仕事をする。
こういう『玄同の人』に対して、馴れ馴れしく親しくしようとしても適わず、疎遠にしようとしても妙に気になってそれが出来ない。
その人を利用しようとおいしいハナシを企てても適わず、妨害し損害を与えようとして足をひっぱろうとしても出来ない。
ヨイショと持ち上げ誉め殺し作戦を発動してもまったく動じず、舞い上がることもなくいつもと変らず飄々としているし、非難悪口陰口罵詈雑言中傷罵倒して貶めようとしても相手にもされない。
親疎・利害・貴賤をもってしてもその人の心を動かすことができないのである。
このように、『玄同の人』は他者からコントロールされることがない。
『玄同の人』を利用しようとしても利用できない。利用されようがない。
いかなるものにも動かされることのない立場を保っている人であるから、天下において最も貴い人となるのである。
知る者は言わず、言う者は知らず。
其の兌を塞ぎ、其の門を閉ざし、其の鋭を挫き、其の紛を解き、其の光を和らげ、其の塵れを同じくす。
是れを玄同と謂う。
故に得て親しむべからず、得て疎ずべからず、得て利すべからず、得て害すべからず、得て貴ぶべからず、得て賤しむべからず。
故に天下の貴となる。
[老子:第五十六章玄徳]