そのまま、このまま、アホのまま。ありのままがアホのまま、アホままがありのまま。【きまぐれエッセイ】
柔弱の徳
水の譬えを出すまでもなく、柔弱なものが剛強なものに勝つことは、誰もが知っていることではあるけれど、それを実行する者は誰もいない。
あたしの知る限り、世の中のほとんどの人間は、ハートでなくアタマで生きているからだ。記憶の世界に生きているから、インプットされた憂世の常識に洗脳されているから。他人の目を気にし、不利な立場に立つことを嫌い、劣等感の反動から優位に立とうとする。
人はみんな、大きいもの、固いもの、強いものが優位だと思い込んでいる。しかし、これはとんだ勘違い。
卑怯者とか、優柔不断だとか、はっきりしないとか、言ってることがころころ変わるとか、女々しいとか、男らしくないとか、弱弱しいとか、堂々としていないとか、後ろ指をさされることを恐れているのである。
だから、水のように柔弱になれないのは、結局は虚勢を張っているからだ。ハリボテワールド。これが憂世のゲンジツ。柔弱謙下の人は、憂世のゲンジツまでもそのまま受け容れる。まるで川の水が岩を削り取るように、時間をかけて、じっくりと。そしてその姿は、美しくも儚い。
ややこしいようでいて、実は単純なこと。あたしたちはもっと、自分の中の柔弱さを認め、それを受け入れるべきなのだ。硬いものにしがみつくのではなく、流れる水のように、柔らかく、しなやかに生きること。それが、本当の強さなのかもしれない。
人生は短い。だからこそ、ハートで感じ、ハートで生きよう。インプットされた常識や他人の目を気にせず、自分らしくあることが、何よりも大切なのだ。世の中の憂世のゲンジツに流されることなく、自分の中の真実を見つけ、それを大切にしよう。柔弱さを恐れず、むしろそれを誇りに思いながら。
天下に水よりは柔弱なるは莫し。
而うして堅強を攻むる者、之に能く勝る莫きは、其の以て之を易うる無きを以てなり。
弱の強に勝ち、柔の剛に勝つは、天下、知らざる莫きも、能く行なう莫し。
是を以て聖人は云う、
「国の垢を受くる、是れを社稷の主と謂い、国の不祥を受くる、是れを天下の王と謂う」と。
正言は反するが若し。
[老子:第七十八章任信]