幻想の自由・見えない権威【きまぐれエッセイ】
「自分は自由だ!」と宣言したとき、果たしてその自由はどこから来るのか、考えたことはあるだろうか?
社会科学者たちは、それが単なる幻想だと言っている。あたしたちは社会的な存在であり、真の意味での個人など存在しない、と。
例えば、あなたが朝起きてコーヒーを飲むのも、誰かがコーヒーの豆を育て、焙煎し、販売してくれたおかげだ。道を歩くとき、赤信号で止まるのも、交通ルールがあるからこそ。そう考えると、自由意志で生きていると思っていた自分の日常も、実は無数の見えない手に導かれていることがわかる。
小室直樹の言葉を借りるなら、生きるためには何らかのガイドラインが必要だ。信仰、規範、モラルといったものがそれにあたる。そして、これらのガイドラインを作るのが他ならぬ「権威」という存在なのだ。
例えば、学校の先生が言う「宿題をやりなさい」という言葉。これは単なる指示だが、そこには教育という大きな権威がある。親が「早く寝なさい」と言うのも、家族の健康や生活リズムを守るための権威だ。こうした小さな権威の積み重ねが、あたしたちの社会を形作っている。
ただし、ここで一つの疑問が湧く。もし、これらのガイドラインや権威に従わなければどうなるのだろう?
一見、自由を手に入れたように見えるかもしれないが、実は混沌の中に投げ出されることになる。無秩序な世界では、真の自由は存在しない。なぜなら、自分の自由は他人の自由とぶつかり合い、互いに損なわれてしまうからだ。
だからこそ、あたしたちは権威に従う必要がある。それは盲目的な服従ではなく、社会の一員としての責任であり、互いに尊重し合うための手段なのだ。そして、その中で自分自身の自由を見つけることが、本当の意味での自由なのかもしれない。
つまり、自由とは孤独なものではなく、社会の中で互いに支え合いながら見つけるものだ。あたしはそう信じているし、これからもこの社会の中で自分の自由を探し続けたいと思う。