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中今を生きる#2-川越氷川神社の印章-

川越氷川神社への奉納品に目を向け、製作くださった方々がものづくりをする上で大切にしていること、次世代へと継承していく姿などをご紹介させていただくシリーズ「中今なかいまを生きる」

今回焦点を当てるのは、御朱印「知恵いづ印」など、川越氷川神社で使用している様々な印章(判子)を製作くださっている、仲町の「バンコドウ」さんです。

御朱印
バンコドウさんに製作いただいた当神社の印章例(明治以降)

バンコドウは文政元年(1818)、同心町(現 川越市仲町)に創業しました。当時の屋号は「萬古堂」。川越城で役所や商店が使う印章作りを生業にしたと考えられるほか、川越氷川神社の裏手を流れる新河岸川の舟運を利用し、江戸からも印章の買い付けがあったとのこと。明治4年(1871)には実印制度が始まり、証書には必ず実印を押すことが定められたため、その頃に印章は庶民にまで幅広く普及しています。

現在7代目の店主を務める岡野一明おかの かずあきさんに、当神社とのつながりや、印章製作にかける想いを伺いました。

一級印章彫刻技能士 および ものづくりマイスターとして認定されている、バンコドウ7代目 岡野一明さん

「知恵いづ印」の意匠に込められた想い

令和5年(2023)7月、当神社では「知恵いづ印」を奉製しました。これは川越藩主松平伊豆守信綱の伊豆守任官400年を記念した、長さ1mにもおよぶ印章です。この意匠(デザイン)をバンコドウにご依頼しました。

信綱公は慶安年間、川越氷川神社に神輿や獅子頭などの祭具を寄進され、江戸の天下祭にならって川越氷川祭礼(現川越まつり)を興した、当神社にとっても縁の深い人物。知恵いづ印の名称は、その才気溢れる様から「知恵伊豆」と呼ばれた信綱公にあやかっています。

「知恵伊豆」と呼ばれた川越藩主、松平信綱公の伊豆守任官四百年を記念した「知恵いづ印」

素材には当神社御神木のケヤキを、用紙には自然素材で作る武蔵の手すき和紙を使用。なお、紙すきには境内に湧き出る御神水を使っています。

神職が一人ひとりに舞殿上で押印します。頒布日程や詳細は当神社Instagramをご覧ください

岡野一明さん:知恵いづ印の意匠について、山田宮司からは「知恵の泉が湧くイメージでお願いします」と伝えられました。まずは、津波やクジラのような、勢いのある湧き方ではないな、というイメージが浮かんだのを覚えています。

そのうちに、川越祭の神幸祭後の附け祭で練り歩く山車に施された彫刻をモチーフにするのはどうか、という考えにも至りました。しかし、これは少々無骨な感じもして……。

私はデザイン画を多く作る方で、1年ほどかけて印象の異なるものを10種類ほど考えたと記憶しています。最終的には、本殿の「波」の彫刻からも着想を得て、神社らしさと躍動感を意識して仕上げました。

知恵いづ印には、いくつか細かな工夫も施しています。写真をよくご覧いただければと思いますが、文字に重なる部分の泉の真ん中を丸くしています。「泉が湧き出た後から光が見える」というイメージを持たせるためです。目を凝らして初めて気づいていただけるよう、隠し絵のようにしてみました。

知恵いづ印の最終意匠

技術、想い、時代が反映される印章

バンコドウに生まれ、代々の職人が作る印章作品を間近で見て触れてはきたものの、一明さん自身に後を継ぐつもりはなかったといいます。曰く「図工の成績は特別良くはないし、絵を描くのも苦手。モノづくりに興味もない」──しかしながら、高校卒業後にバンコドウ6代目のお父様(行麻ゆきおさん)より印章職業訓練校に通うことを勧められます。ここから、一明さんが印章作りに向き合う日々が始まりました。

印章製作に使用している印刀

一明さん:全国に一校だけ、印章職業訓練校が神奈川県にあります。それまで進路に関しては何も口を出さなかった父にこの学校への進学を勧められた時、自分が「バンコドウの伝統を継ぐ者」として期待されていること、そして自分自身も印章製作を一生の仕事にしていくことを受け入れました。

5代目の祖父(常行つねゆきさん)は私が3歳の時に亡くなりました。父にしてみれば、祖父に技術的なことなども含めて様々なことを教えてもらいたい時期だったでしょう。店の切り盛りにかかりきりになり、私に技術を教えている時間などまったくとれなかったようです。

職業訓練校には、全国の印章店の跡継ぎが集まっていました。訓練校では印章作りの技術を一からしっかり学びます。例えば、印刀という印章を彫る道具がありますが、訓練校では鋼を渡され、自分で研いで印刀を作るところから始めました。平日は訓練校から紹介された印章店で働き、土日は朝から夕方まで訓練校で勉強する毎日です。

訓練校には2年ほど通い、約5年間を神奈川県での修業に費やしました。そのときの月給は6万円。本当に大変でしたが、このときがむしゃらにやってきた経験があったからこそ、一級印章彫刻技能士やものづくりマイスターになれたのだと思います。

使い込まれた辞典の数々

新たな意匠の印章を作るときは、すでにあるものを参考に技術や職人の想いを受け継ぐ半面、時代を反映したり、作り手のスタイルを出したりして変化もさせていきます。例えば、祖父が作った印章の数々は幼い頃からよく見ているので判別できますよ。印章とは、製作時期や作成者によって特徴が現れるものなのです。

印章には製作した人の工夫も反映されている

印章にはストーリーとドラマがある

バンコドウでは、いちから印章を作られる方にはなるべく来店をお願いしているといいます。一明さんが依頼者一人ひとりと話をしてその人のイメージをつかみ、さらには印章作りの目的や背景にあるストーリーを掘り下げたうえで、これから作る印章に込めたい依頼者の想いを意匠に活かすのです。

全体のバランスを取りつつ、依頼者をイメーシした文字を書き起こして手彫りする

一明さん: 多くの方の印章を作らせてもらう中で、「印章が持っているストーリー」を大切に考えるようになりました。例えばお祖母さんからいただいたとか、その家に受け継がれてきたものなど、印章の存在に背景があり、贈る人の想いが込められていることもある。

バンコドウで製作した印章の数々

ですから、家族が自分の行く末を想い用意してくれた印章を大切に使っている、その行為そのものも尊重したいと思っています。お手持ちの印章をお持ち込みいただいた場合、まずはその印章に対する愛着や思い入れを伺います。仮に高価でない素材で作られていたとしても、大切にされているならばこちらから作り直しを提案することはありません。

まれに、「この印章と同じような意匠で作り直してほしい」というご依頼もありますが、積極的にはお引き受けしていませんね。自分としては、「意味を考えずに意匠をなぞる」ということだけは、やってはならないと考えているので。

ものづくり全般に言えることですが、ストーリーがなければ印章は抜け殻のようなモノでしかなく、存在の説得力に欠けるのではないでしょうか。印章は決して「朱をつけて捺印する」だけのものではないと、私は思います。手に入れるきっかけや印章を使う場面、手にした時に感じた責任感、所有する喜びや時間の長さも含めて、そこにはドラマがあると思うのです。

川越で代々商売を営む老舗の印章も手掛けてきた
店内にはバンコドウ4代目による、新年の「彫り始め」を納めた写真も

「街のハンコ屋さん」でいたい

現在バンコドウは、仲町の本店とアトレ川越店の2店舗を運営しています。平成2年(1990)に実現したアトレ川越への出店は、人が多く集まる川越駅でたくさんの方に印章に触れてもらい、身近に感じてほしいという考えからだったそう。これは、一明さんの祖父にあたる5代目の夢を実現させたものでした。


一明さん:祖父が作った数々の印章を見たり、父から話を聞いたりしてつくづく思うのですが、5代目はすごかったんです。技術はもちろんのこと、当時としては先進的な考え方を持っていた点が。

まずは、「萬古堂」だった屋号を「バンコドウ」にしたのも5代目。旧字体の堅苦しさをなくし、よりお客様に馴染みやすいように、構えないで来店してほしいという想いだったそうです。

創業から4代目まで使われていた看板
川越のシンボル「時の鐘」から徒歩数分のところにあるバンコドウ本店

さらに、70年代後半には光電式の印章彫刻機が発売されたのですが、これからスピード重視の時代になってくるだろうから、急ぎの注文は光電式を使ってもいいのではないかと、発売後いち早く購入したりして。

21世紀も20年以上経過した現在、書類もデジタル化が進み、印章は徐々に使われる場面が減っているかと思います。印章を作る機会が減ると、どうしてもつくり手は芸術的な方向に寄りがちです。

印章のつくり手が芸術家として偉くなってしまったら、お客様が気後れして注文を躊躇することにもつながると思うんですよね。私にとってはもちろん、何より祖父にとっても本意ではないはずです。

多くのお客様がバンコドウに気軽に寄りたいと思ってもらえるよう、私たちは「川越という町のハンコ屋さん」でいたい。私たちが7代にわたって印章店を営んできた意味は、印章とお客様との接点を持たせる媒体としてのバンコドウを存続させる、ということなのかなと思います。

「印章は、捺印した瞬間から無言の口をきく」と語る一明さん

* * * * *

宮司から:
祭りや仕事を通じて長年おつき合いいただいている岡野さんは、不思議な「引力」を纏った方です。会うたびにふと、吸いよせられるような感覚をおぼえるのです。

ことに惹かれるのは、話し出す直前に現れる独特の「はく」。あまりに一瞬で、気がつかないほどに微かです。でも私にはそれが、相手の想いを受けとめてから自身の考えを返そうとする、なんとも「岡野さんらしい」時間にみえます。

今回のnoteを読み、やっと合点がいきました。人の言葉や仕草に滲む背景(本文内では『ドラマ』『ストーリー』『想い』など、随所に登場します)へ目を向ける、こまやかな習慣が自然と身についているのでしょう。

岡野さんが懸命に生きる「中今」は、社会のはげしい変化にも影響され、きっと過酷なものであるはずです。そうした中で、若い彼が次代への責任感を必死に奮い立たせ、技術に磨きをかけながら日々を送る姿を誇らしく思わずにいられません。

岡野さんの生み出す印章にもまた、静謐な引力が満ちています。ぜひ一度お店をお訪ねください。

  川越氷川神社宮司 山田禎久

<シリーズ:中今を生きる>


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