大鳥居越しにみる空模様-通る守り-
武蔵野台地の東端に位置する川越氷川神社。その高台の立地も相まって、ひらけた視界から望む空模様の美しさは日々私たちを楽しませてくれます。
「通る守り」は、そんな景観を構成する大鳥居を主題に奉製したお守りです。お守りに込められた思いや、大鳥居にまつわる歴史などをご紹介させていただきます。
鳥居の内側は神様が鎮まるご神域
神社にお参りの際、まず目にするのが鳥居ではないでしょうか。神社の象徴ともいえるこの建造物は、神様が鎮まるご神域への入口を示し、この境界を「通り入る」様子が語源の一つともされています。
その起源も様々で、外国からの渡来説や天照大御神が天岩戸にお隠れになるあの有名な神話から、夜明けを演出する長鳴鳥が止まった木を由来とする説などがあります。
大鳥居の建設背景-カナダから取り寄せた巨木-
川越氷川神社の大鳥居は、上皇陛下の御大典記念事業として平成2年(1990)に建てられました。高さ15mにものぼり、木製としては当時日本一の規模を誇りました。
その大きさゆえに、建設にあたっては用材の確保や輸送時などに困難が生じました。
発案当初は檜材を探し、ようやく台湾で候補となる檜が見つかりました。
しかし、あまりの大木のため運搬するには道路を一から整備する必要があり、資金面から断念せざるを得ませんでした。
最終的には、カナダ杉が用材として選ばれました。高緯度地域に自生する杉は年輪が密で檜に似た特徴を持つためです。
在日カナダ大使館ならびにカナダ国ブリティッシュコロンビア州政府・同林産業審議会の支援を受けて、樹齢500年を超える直径約2.5mの原木を3本輸入するに至りました。
大鳥居は川越の職人組合によって施工され、平成3年(1991)8月に竣工祭が執り行われています。
勝海舟の筆による扁額の文字
現在、大鳥居中央にかかる扁額の文字は、勝海舟(文政6年~明治32年)の筆によるものです。よく知られている通り、勝海舟は幕末から明治期の激動の時代に活躍した武士であり政治家です。
蘭学や西洋兵学を学び、長崎海軍伝習所に入所。その後、咸臨丸の船長として渡米し、海軍の育成に努めるなど革新的な考えを持っていました。戊辰戦争では西郷隆盛と共に江戸城無血開城を成功させ、明治新政府では様々な役職を経験し、晩年は多くの著書を残しています。
大田区立勝海舟記念館の学芸員さんによれば、
とのことでした。当神社と勝海舟の関わりは文字資料こそ乏しいですが、生涯を通じて多くの書画を残した海舟の作品の一点として、今日に人生を切り拓く力強さや気品を伝えてくれています。
「通る守り」に込めた思い
冒頭でお伝えしたように、鳥居の語源の一つには「通り入る」があります。「通」という言葉には、「予選を通る」「試験に通る」「心が通う」などに見られるように、新たな場所へ踏み出す、あるいは対象との繋がり深まるといった意味があります。
勇気をもって新たな一歩を踏み出されるよう、また迷いや躊躇にうち「勝」よう、お守りを通じてお祈りしております。