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ゲーム会社から生まれたアイドルたち
これから書くのは、アイドルを起用したゲームの話ではない。
1990年ごろゲーム会社が自社タイトルや自社PRのためイメージガールやキャンペーンガールを公募していた。
1970年代から80年代にかけてアイドルブームだったので、テレビでは歌番組やドラマ等に日々多くのアイドルが出演していた。アイドルは世間で注目を集めていたので、この流れでゲーム会社もアイドル起用ということになったのだろう。
日本ファルコムのゲーム『イースII』に登場するヒロイン『リリア』のイメージガールコンテストが、1990年3月新宿で開催された。取材依頼があったので、編集スタッフが取材を行い、イベントレポート記事を雑誌に掲載した。
ずいぶん後になって、知り合いのゲームライターが、学生時代新潟から新宿のイベントに参加したという話を聞いた。
このコンテストでグランプリを獲得したのは杉本理恵さんだった。イベント後ゲーム雑誌に登場したり、キングレコードからCDをリリースしたりとしばらくの間芸能活動を続けていた。
1980年代後半のある日、NECのPC雑誌編集長にテクノソフトの社長を紹介された。たまたま編集部を訪れていたようだ。PC88版『サンダーフォース』の続編をメガドライブで出したいという。
1989年このタイトルのメガドライブ版が発売された。やがてこのゲームは人気となり、会社の知名度は高まった。
その年の秋ごろテクノソフトは、キャンペーンのためアイドルを作ることになり、佐世保でコンテストが開催された。その審査員として招かれた。後日聞いた話によると、『メガドライブFan』の編集長も別の日に招かれたようだ。
コンテストの参加者たちは、ほとんど中高生だった。審査員は、大園社長と雑誌社は確かだが、そのほかに誰がいたのか覚えていない。
審査員たちの前で、応募者たちは、歌と玩具を使った簡単なゲームで懸命にアピールしていた。歌は、当時人気があった小泉今日子の曲が多かった。
その後メンバーが選ばれ、テクノソフト Gal´sClubとして同社の広告に登場するようになった。翌年東京ゲームショウのテクノソフトブースで、彼女たちが来場者にチラシを配っているところを見かけた。それなりにファンもいたようだ。
それからどれほど活動したのかわからない。テクノソフト Gal´sClubはいつの間にか消滅していた。
雑誌社としての客観的な立場から見て、杉本理恵さん、テクノソフト Gal´sClubともにゲーム会社のブランド力アップに少なからず寄与したのではないかと思う。
それから時が流れた。当時のゲームファンの中でも一部の人たちが、ゲーム会社から生まれたアイドルたちをときどき話題にしている。そういう状況だ。
人気のゲームタイトルや有名なゲームクリエイターは、ゲームの歴史に残っていくだろう。同様にゲーム会社から生まれたアイドルたちもゲームの歴史として残ってほしいと思う。