制作に至らなかった『グレンダイザー』のゲームと南部虎弾さん
2010年アニメの専門家といっしょにカイロとドバイに行った。ゲーム&アニメ産業の調査である。
複数のゲーム会社やゲーム販売店を訪問したが、まだゲームは産業になっていない状況だった。カイロの大きなショッピングモールには、コピーゲームを大量に堂々と販売するショップがあった。韓国のオンラインゲームをエジプトでリリースした会社の社長は、ゲームファンが増えていると言っていた。
取材した人たちの伝手でイラクの青年と知り合った。父親が日本から中古の工事用重機を輸入してイラクで販売していて、彼はときどき日本に重機を買い付けに来ているという。地元で結構売上を上げているようだった。
自分はゲームビジネスをやってみたいが、『UFOロボグレンダイザー』(以下、『グレンダイザー』)のオンラインゲームを作りたいと考えている。日本に行ったときに版権交渉をしたいと相談された。イラクで開発するのかと尋ねると、ヨルダンにいいプログラマーが多いのでそこ会社で作るということだった。
カイロとドバイで会った会社の人で『グレンダイザー』のファンだと言っていた人は結構いた。日本で1970年代中ごろに放映されたアニメがなぜ中東でこんなに人気があるのか。
詳しく聞いてみると、中東のどこかの国でテレビ放映されていたが、そのコピー動画をインターネット上で見てファンになった人が少なからずいた。
帰国してしばらくしたころイラクの青年から永井豪さんの事務所と交渉したいという連絡があった。そこで知り合いにダイナミック企画を紹介してもらい、来日した際彼と交渉に向かった。ミーティングは通訳者を同行して行ったが、次回条件を交えて再度話し合うことになった。
交渉後知り合いと夕食の予定があるが、付き合ってくれないかと誘われた。仕事の予定がなかったので彼と新宿の待ち合わせ場所に向かった。そこで待っていたのは、電撃ネットワークの南部虎弾さんだった。
それから3人で歌舞伎町の焼き肉屋に入った。青年と南部さんは、オーストラリアで電撃ネットワークがTOKYO SHOCK BOYSとして公演しているとき知り合ったらしい。
「こいつが金髪の女の子と赤いスポーツカーに乗っていたんで声をかけたんだよ」と南部さんは知り合った経緯を説明してくれた。彼は父親の仕事がらみで世界各地を回っているようだった。
「この人たちはオーストラリアで人気があったんだ」。青年は、出会ったとき南部さんのことをすでに知っていたらしい。その夜は遅くまで話し込んだ。
その後2人と会うことはなかった。『グレンダイザー』のゲームは条件が折り合わず破談になった。
先日テレビで『ザ・ノンフィクション』を見ていると、南部さんが出ていた。地方公演に行く前夜に倒れて、そのまま帰らぬ人となった南部さんのドキュメント番組だった。南部さんとイラク人の青年と焼き肉屋で飲んだことをずっと忘れていた。いきなり昔の記憶がよみがえった。