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『マンホール』から始まりeスポーツにつながる話

『マンホール』(Mac)というタイトルを大谷和利さんに紹介してもらった。1980年代後半のこと。
大谷さんは、1980年代から現在に至るまでApple関連のテクノロジーライターとして活躍している人だ。彼には、このゲーム以外にも『HyperCard』 (ゲームの制作等に利用されたソフト)など当時Appleに関する様々なことを教えてもらった。
『マンホール』は、画面をクリックすると次の展開につながる、独自の世界観をもったゲームだったが、アドベンチャーゲームのスタイルがないところが面白いと思った。日本には世界観を含めてこのような不親切なゲームはなかった。
 
それから5年ほど後のこと。会社がゲームの版権を買ったので開発するように言われた。
ちょうど新雑誌の創刊準備中で人材を集めていて、半分ぐらいしかめどがついていなかった時期だ。人手は割けない。だが、社長の案件でもあるし、一度はゲームを作ってみようと思い、ゲーム開発会社の管理やゲーム内容の確認、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE/現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)との契約・交渉、社内調整、広報など1人でやった。
 
手がけたのは、『MYST』というゲームだった。後日『マンホール』を開発した会社のタイトルだということがわかった。それを知ったときは奇遇だと思った。
 
このゲームで気がかりなことがひとつある。SCEからゲーム盤面の色を早く決めてくれと連絡があったとき、即決でグリーン系の色を回答した。しかし、本当はゲームに合わせて海の色、ブルー系の色にしようと思っていた。雑誌とゲーム開発両方の仕事をしていたので、半年ぐらい睡眠時間4、5時間の日々だったので疲れていたのだろう。今でも後悔している。

このゲームが想定以上に売れたので、会社がゲームビジネスに興味をもち、やがてゲーム会社ができた。その会社にも関わるように言われたが、自分の仕事があるのでアドバイスをしてお役御免にしてもらった。
 
1997年アメリカでeスポーツの先駆け的イベント『サイバーアスリート・プロフェッショナル・リーグ』が開催された。PCゲーム『Quake』が競技タイトルだったようだ。このタイトルのWindows版を国内で発売したのが新しく作った会社だった。
時は流れて2018年ごろ。国内でようやくeスポーツビジネスが立ち上がった。その前後から仕事でeスポーツに関わるようになった。だが、その頃は不覚にも『Quake』とeスポーツの関係は知らなかった。
 
思い返してみると、『マンホール』というゲームが気に入り、たまたまその会社のゲームを手がけることになり、ゲームが売れたので会社ができて、その会社が『Quake』を発売し、『Quake』がeスポーツを広げるきっかけになり、やがて自分がeスポーツにも関わるようになる、何か事が起こると巡り巡って思いがけない意外なところにたどり着いたわけだ。風が吹けば桶屋が儲かる的な実話である。

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