MSXと『HALNOTE』の思い出
ゲーム雑誌編集部の前にMSX雑誌の編集部にいたことがある。
編集長が退職したのでその代わりに一時期在籍していた。
MSXはパソコンなのだが、発売されたソフトにはゲームが多い。
1984年から1987年にかけて毎年100タイトル以上発売されていた。アスキーやポニカ(ポニーキャニオン)、コナミが発売タイトル数のトップ3だった。
ゲーム会社からサンプル版のゲームが届くと記事作成のためプレイしていた。ゲーム専用機ではないので、例えば『ドラゴンクエスト』は、ファミコンに比べるとスクロールが少々不自然だった。MSXユーザーにはおなじみの話だ。
PC-8801版がライターたちに人気のあった『ボコスカウォーズ』(アスキー)もMSXで発売されている。
当時個人的に注目していたのは、ゲームではなく『HALNOTE』(1987年発売)だった。
まともな日本語のワープロソフトもないような時代、『HALNOTE』は画期的だと思った。例えていうと、『Microsoft Office』のような統合ソフトだった。開発版を使ってみると、完成版に対する期待がますます高まった。
このソフトを開発していたのはHAL研究所(以下、HAL研)だった。
どんな会社が開発しているのか興味があったので、取材やサンプル版の返却で何度か訪問した。HAL研は神田のあまり大きくない雑居ビルにあった。対応してくれたのは、広報の人や何人かの開発者だった。ほとんどが20代のようだった。
どういう人に会ったのか、残念ながら取材時の話の断片しか記憶に残っていない。40年前のことだ。丁寧に対応してもらったことと、発売がなかなか決まらなかったので、早く開発してもらいたいというようなことを言った覚えがある。それほど思い入れがあった。
数カ月前ゲーム保存に関する会議で、元HAL研の人と知り合った。
その後メールで、かつてMSX雑誌で編集をしていたこと、『HALNOTE』の取材で何度か会社を訪問したことを伝えた。
返事があり、『HALNOTE』に関わられていた方々は、すでに全員退職されていた。対応していただいたかもしれない方々の名前もあった。そのうち岩田さんと金田さんは他界されていた。
『HALNOTE』についてネットで調べてみると、開発部長は20代の岩田さん、システム開発のリーダーは金田さんということだった。雑誌の取材は、だいたいこのクラスの人が対応してくれることが多い。
岩田さんは後に任天堂社長となる岩田聡さんのことである。
HAL研を訪れていた頃、同社はファミコンのゲームも開発していた。そのため、任天堂の社長に就任されたとき、HAL研のゲーム開発部署の人だったので、そうした流れになったのだろうと勝手に思い込んでいた。あまり気に留めることもなかった。
そうか。『HALNOTE』開発の責任者だったのか。
一度お会いして『HALNOTE』の開発顛末を聞いてみたかったな。だが、自分の思い違いでその機会を逸してしまった。
来年で岩田さんが亡くなられて10年になる。