四半世紀生きてみて
私はもともと舞台女優、ダンサーのような表舞台に立つ人になりたかった。子供の頃から児童劇団に所属し、表舞台に立つのが当たり前だった。
お客さんの視線を浴びて、ライトに照らされて、自分自身で表現する人になりたかった。有名な舞台に立ってみたかった。
だけどいつからか、そう思うことが少なくなった。一般的にこれを夢を諦めたというのかな?
今は、演出振付家になりたいという気持ちの方がはるかに大きい。どうしてそう思うようになったか振り返って自分で自分を整理したい。
もともとは、振付なんてすごくすごく苦手で、どう頑張ったって何かを生み出せるなんて思ってもみなかった。
でも21歳の夏、あるトモダチからショーケースを企画したいから振付やってくれない?と頼まれた。なんでそのトモダチは振付経験もほぼないに等しい私に声をかけてくれたのか、そして絶対にできないと公言していた私がそれを受けたのか、今でも謎だが、なんやかんでやることになった。なってしまった。
それは、歌とダンスだけでつなぐ1時間半ほどのショーで、前半後半で違う振付家が担当したとはいえ、12〜13曲を創らなければならなかった。
初めての経験でどうやって振付を考えればいいのかもわからず、楽しむ余裕もなく、ただ無我夢中で突き進んだ。創ってる最中は、だれがやるかこんなこと、もう一生やらん!と騒いでいた。
ところがどっこい、終演してみるのと、あーら不思議。今まで感じたことのない気持ち。演者として舞台に立ってきた時は、反省点はあっても、通過点。終わったら、はい次、という感じだったけど
自分が演出振付してみると、作品への愛は止まらない、反省も止まらない。変な高揚感に包まれた。
こうして危険ドラッグ、演出振付の味を知ってしまった。
その一年後には全編一人でショーを演出振付した。これがまたやってる最中は辛くて、なんで始めちゃったか自分と思うのに、終わるとそんなこと忘れる。完全危険ドラッグ。
さらには関心が高まりすぎて、このままでは引き出しが少なすぎる!と敬遠していたコンテンポラリーダンスに手を出すためにカナダへ飛んだ。色々な葛藤があったけど3年間みっちり学んだ。
これは3年前の作品。まだまだ詰めが甘いけど、何かをしたい!という気持ちが溢れ返っててたまに見て何か思う。
さて、結局どのタイミングで分岐点があったのか。考えてみたけど、何か大きな出来事か何かがあったわけじゃないんだな。
ただ徐々徐々に。
今まで自分の枠組みの中でしか表現できなかったものが、他人の表現と体を借りればそれが2倍にも3倍にもなることを知った。私だけじゃその人だけじゃできなかったことが、合わさればなし得ることもある!なんて素晴らしい!私が求めてたのは、こっちかもしれないと思った。
結論。やっぱりだから私は夢を諦めたわけじゃない。そして今までやってきたことは何も無駄なことなんてない。
いや待って、むしろ無駄なことを身につけてこそ人生は豊かになるはず。どんどんやっていこう。怖がりません。
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