"本当に"読むとは?
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
先日「川口さんこの本を本当に読んでます?」とご指摘を頂いた。内容が薄っぺらくて、まるでレビューを見て書いたんですかと言われてしまった。
ふと思ったのは、本当に読むとは一体なんだろうか。そもそも読書において、本当と呼べるものは存在するのだろうか。
おそらくその人にとって、著者が文字に表していない文脈や、その言葉や内容を載せた真意を読み取ることが出来て、本当に読んだという域なのだろう。歴史的背景や解説まで読み込んでこそ、読書家と言いたいのだろう。
勿論、そこまで読み込んでくれる読者は少ないため、著者にとっても嬉しいことではあるだろう。
だが、読んだ本に対して考察ばかりする人と、読んで感動して心揺さぶられる人。どちらが"良い読者"なのだろうか。
尾田栄一郎さんの「ONE PIECE」で例えるならば、伏線や表現の意味を一つひとつ考察して読む人がいれば、16巻のチョッパーの過去の話で感動する人もいる。
この場合、尾田さんにとってどちらが"良い読者"なのだろうか。
無論、伏線や表現の意味に対して意図に気づいてくれれば嬉しいだろう。
では、著者の意図など全く気にせず「感動しました」としか言えない人は、悪い読者なのだろうか。
自称でも読書家を名乗るのならば、本に対して批判的な視点で挑む必要があるのだろうか。
話は逸れるが、ビジネス書や仕事術系の本では、第1章にこれからの経済や雇用制度について語るものが多い。
あれは読者に資本主義や世界情勢の現実を突きつけることにより、不安を煽ることで、「今あなたは困っているんですよ」と認識させることが目的らしい。
だが、多くの読者はその章を読み飛ばす。なぜなら、著者や出版社の意図など、そこまで重要とは思っていないからだ。
読まなくても正直困らない。今後の経済状況が知りたい方はそもそも経済誌を読むし、大抵の人はいいから早くどうすればいいか教えてくれと考えている。
著者の意図など気にしなくても、本から学ぶことはできる。むしろ、読んだ内容を実践しなかったり、そのとおりに生きてみようと思わない方が失礼ではなかろうか。
それこそ、著者の意図を読み取っていないのではないか。
話を尾田栄一郎さんの「ONE PIECE」に戻す。
作品に対して考察ばかりしていて「俺は誰よりも尾田栄一郎先生のことを理解しているんだ」と豪語する人よりも、「ルフィのように仲間に囲まれるような人間になります」と生き方を真似る人のほうが、私は好きだ。
本の読み方は千差万別。深く読み込むことが本当の読書だと言う人もいれば、私みたいに感動することが読書の醍醐味だと思う人もいる。
結論、正しい本の読み方とか、本当の読み方というものは、その人が自分で決めるものではなかろうか。
好きなように読むのが一番だと、"自称"読書家は考える。それではまた次回!