絵を見る技術を養う
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
10月1日の都民の日は都内の庭園や美術館が無料開放されるとあって、先週くらいから東京都現代美術館に行こうと浮足立っている。
だが先日の記事ではないが、やはり美術館を訪れるからには何かしら芸術や絵について詳しくなっておきたいところ。
いつも美術館を訪れては、なんとなくいい絵だなとは分かるけれども、なぜかと問われたら言語化できない性分。まぁ本当にいい絵なのかも、分かっていないが。
そんな経緯から会社の図書スペースで貸し出していた秋田麻早子さんの「絵を見る技術」朝日出版社 (2019)を紐解いた。「美しい」とはなんぞやも大事だが、絵画をいかに見るかも学ぶべきだと思った次第。
秋田さん曰く、思わず見入ってしまう名画というものは、構成や配色などのバランスが取れているのだという。
絵画というものは、必ずしも目の前に広がっている風景をそのまま写しているわけではない。
私も趣味程度に写真を撮るけれども、カメラで撮れるのはあくまでも目に映る世界である。勿論、フィルターやレンズを変更すれば、また違う写真を撮れはするけれども、あくまでもファインダーの世界である。
絵画の場合、必ずしも解剖学的に正しい人間の姿を模写するわけではなし、むしろそれを画家によって調整できるからこそ、バランスの取れたものに仕上げることができるそうだ。
そういった観点で絵画を見ると、なるほど、確かに美術館にある絵画一つ一つに優れた技法や構造を有しており、どれだけ観ていても飽きさせない力がある。
でもやはり、絵を観るたびにそのよう分析するのもいかがなものかと、若干心配になる。そのような観点で見たものを、美しいと言えるのだろうかと。
正直、紐解いている間にも考えてしまったこと。これらの技法や構造が分かったところで、美しいと思うかは別だよなと。
それこそ先日読んだ橋本治さんの「人はなぜ『美しい』が分かるのか」筑摩書房ではないが、合理的なことを美しいと呼ばざるを得ないのかと。
だが秋田さん自身、好き嫌いと絵を見る技術は別だと述べる。
名画には人を引き寄せる構造や技法を有している。だからといって、全ての作品を美しいと思うかは別であり、むしろ自分が感じた好き嫌いを大切にすべきだとおっしゃる。
いずれにしても、自分が美しいと思った理由について考えることは大事なことなんだと。感性としても、理性としても芸術を味わうのが大事なんだと学んだ。
ひとまず、週末が楽しみなり。それではまた次回!
・追記
橋本治さんの「人はなぜ『美しい』が分かるのか」を読んだ時の感想文。
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