裸の心
こんちは。
ちょっと前、お父さんが単身赴任先から帰ってきてて、岐阜までお墓参りに行った。その行きしに、
いつきはこの心を持ったらええんちゃうかと言われた。
それはアントニオ猪木の名言。
馬鹿になれ
とことん馬鹿になれ
恥をかけ
とことん恥をかけ
かいてかいて恥をかいて
裸になったら見えてくる
本当の自分が見えてくる
本当の自分も笑ってた
それくらい馬鹿になれ
そう、裸が1番最強なんだよということ。
「なんて思われたっていい」という心持ちができれば、僕にとっては心地良いことであるかもしれない。
僕は結構、生い立ちから見ても、いじられることで受け入れてもらえる、仲間に入れてくれる、そのために我慢する傾向がある。
それは中学入学時に転校してきたときの1人の寂しさ、虚しさから来てたのかもしれない。
いじられることが嬉しい時もあったりするけどね。
でも結構ストレスだったことも多いし、そのせいで繕う繕うと、「他人にどう思われるか」を過度に意識して生きてきたかもしれない。
去年も、上司にどう思われるかは、結構気にしてた。自分の考えを口にするときは気にしてない部分もあったけど。
みんな前提でそうなのかもしれないけど。
他己承認と呼んでいる。
その欲は、別にあっていいし、なくなってはならないものやけど。バランスの話。
それが身近だけでなく、今年は、自分の将来を想像したときに、世間や見えない誰か、をも気にして浮かべてた。
でも今は、たとえ社会的に成功とか、社会貢献とか、自己実現とか、世間一般から「良」いとされる大人とか、経済的に貧しくない自分とか、、、
それって結構他己承認軸が強めなんかもなぁと気づいた。もちろん持ちたいけど、気にしすぎたくないし、というかむしろ社会から認められなくてもいいかもしれないと思ってるし、囚われずに生きようと思えてるから、すんごく楽になった。
たとえ失敗して、野垂れ死にそうな自分の未来が待ってても、それはそれで、
みんなと違う自分、笑えるなーって。思えるかな笑
ただの薄っぺらい変人になりたいわけではないですよ。
でも、自分のことすらまだままならないのに、無理にでかく考えたり、貢献を考えるからそうなるし、それは結構認められたいが強いのかも知れない。
だーんだん話が逸れていつもの悩みのところに行き着く。笑
これから、
余計なプライドを捨てちまう。
できる自分を繕うとするのではなく、
できない自分が嫌いとするのではなく、
それも自分の一部として曝け出してしまう。
ぺこぺこしちまえばいい。
できないなりに頑張ればいい。
何にもダサくない。
謙虚を忘れなければ、大抵のことは許してくれるし、
そっちのが楽だ。カッコええやん。
実際に、渡航費やその他諸々のために始めた嵐山のカフェアルバイトで、
「歳上なのに、ぺこぺこしてて、なんか歳上に見えないですね。」
と歳下から言われた。
もう全然慣れて結構できるけと、初心者マークを外したくない自分がいる。🔰
ま、ミスしてもこれつけてたら許されるやろっていう方が正しい。笑
あと、お客さんに絡まれる。笑
実際に年下からもタメ口でガンガン言われても何も気にしていないし、そっちのが楽だと思えてる自分がいる。
本来なら熟年バイト生である自分が、歳下に教えられてバンバン失敗して言われてるのは、今までの自分なら恥ずかしいと思うであろう。
でも、そんなの関係ない。
最高の褒め言葉をありがとうって感じです。
そもそも、23歳の内定ゼロのろくでなし者で、すぐいなくなるやつを雇ってくれて、色々教えてくれてありがとうございますですよね。
感謝と謝罪の心は、持って生きてたい。
いつでも謙虚たれ。
いつでも下っ端でいい。たとえリーダーになっても、いつでも敬意を持ち、自分だって失敗するんだ。
自分で自分を認めてあげて、
裸の心で、素直で、馬鹿になって、そんな自分を最高だと思えるように生きてたい。
オークンボング。