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2018年1月9日 二通目

昨年末から交流を始めたある死刑囚との対話を、気が向いたときに記していきます。ブログのタイトルは私が手紙を送った日時。下記に始まる本文は私が土屋和也死刑囚に宛てて書いた手紙の内容文(いつも手紙を書いた後に、携帯のメモ機能に保存している)。巻末には、彼の返信から視えたことを、わたしの視点で記しました。土屋さんからの手紙については、ご本人の了承を得ていないので載せていません。

私は手紙を書くとき、「どんなことを書こうかな」と、考えながら書き進めるため、(文法的に)文章に少し違和感があるかもしれません。ご了承ください。

土屋和也さまへ

寒さがひとしお身にしみます。体調など崩されていませんか。そちらの生活では、あまり空調設備などが行き届いていない、と耳にしたことがあります。

年明け早々に仕事が立て込んでおり、忙しない日々を送っておりました。

ようやく時間をつくり、土屋さまとの時間に向き合おうとペンを執ったところです。

まずは、返信をいただき、ありがとうございました。おそらく外部の人間との交流など気が向かないであろうに、返信をしてくださったお心に、感謝しています。

せっかくこうしてご縁を頂いたのにも関わらず、なんのお話を持ちかければ良いのかと悩んでおります。恐らくテレビなど鑑賞することも許されていない環境下で、外の世界に思いを馳せるのも難しいのではないでしょうか。

そこで純粋に、土屋さまのことを知りたい思っています。差し支えなければ、趣味や、好きな色や、食べ物など、そういったことを教えてほしいです。そこから広がる会話を、これから大切にしていきたい、と勝手な期待感を抱いています。

今日は、ここでペンを置きます。記念切手を同封致しましたので、ぜひお使いください。

明日は今日より少しでも、外の気温が、土屋さまの心が、暖かでありますように。

河内千鶴 2018/01/09


2018/1/13 返信あり

質問に対しては丁寧に、淡々と答えてくれるけれど、それ以外のことは一切書いてこない。

わたしのことなど興味ないのだろうか、あるいは様子を伺っているのだろうか、それとも外部との交流で傷を負った過去があるのだろうか。

血抜きされ漂白され尽くしたような文面。一枚の紙に綴られた言葉が、無感情な符号のようなものに見えてしまった。

この思いをうまく形容できない。ただ捉えどころのない疼きが胸の内を行き交う。

「どうしたら良いんだろう」と、そんなおせっかいばかりが頭を過ぎっては消えていく。地上へと落ちてくる雪のように冷え切ってしまった彼の心に温を分け与えるには。私自身の正義を認めたうえで、第二の彼を生まないために務められることを考えたい。

テレビをつけると今日も東京大寒波のニュース。「何十年ぶりの」と、騒ぎ立てている。

ふと窓の外を見ると目に映るのは、グッと寒さに耐えている木々たち。いまだ溶けきらない雪の猛威は容赦なさそうだ。それでも艶やかな桜を身に纏う日を夢見て、今という命を必死に育むのだろう。

見つめていると木々たちから「生きたい」が聞こえてくるようだ。葉が落ちきってやせ細った姿そのものはみすぼらしいけれど、どこかうつくしく、儚い。それは死刑囚の痛々しい心と体を映し出しているかのようで、ずっとは見ていられなかった。

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