記事一覧
2020年9月8日24通目
前橋市高齢者連続殺人事件で最高裁は今日、被告側の上告を棄却した。土屋さんの死刑が確定する。
上告が棄却される約1週間ほど前に、土屋さんと面会交流をする複数の方々から連絡をいただいていた。
死刑が確定してしまうと間も無く、外部との交流が途絶えてしまう。面会はもちろん手紙のやり取りさえできなくなってしまう可能性が高い。そのため土屋さんと交流を持つ人らから、土屋さんの最近の状況(面会時の様子)や、彼
2019年12月16日 11回目のこんにちは
約5ヶ月ぶりの面会の日をむかえた。もう11回目になるのか。
私は沖縄に住んで1年が経とうとしていた。沖縄の、冬がない生活に慣れてしまったからか、東京はずいぶん冷えているように思えた。日中はあたたかな陽が出ていたが、夜になるとマフラー無しではいられないほどだ。この寒さでの拘置所内の環境はどんなものだろうか。空調整備はされているから大事ないかもしれないが、暖房の効いたぬくぬくとした日常や、コタツで暖
2019年10月25日22通目
10月下旬、土屋死刑囚から手紙が届いた。
返信さえ送ってくることがない彼からの、いきなり届いた手紙に、何があったのだろうかと少し不安な気持ちで封を開けた。
冒頭には、相変わらず過ごしているとの近況報告が。その後の本題には、
「河内さんと文通・面会を希望している収容者がいる」という旨が書かれている。そのまま読み進めた。
浜名湖連続殺人事件の容疑者から夏の暮れ、土屋氏の元に、同じ東京拘置所の収
2019年7月29日 10回目のこんにちは
3週間前に手紙を送ってから、返信がないまま面会の日をむかえた。
前回の面会は2月15日であったから、5ヶ月ぶりの拘置所だ。
土屋死刑囚と面会の約束(私がやや一方的に)をしていたこの日、東京では梅雨明けが発表されていた。
窓口でいつものように手続きを進める。そのとき面会時間が変更になったという旨のお知らせを目にした。面会時間が5分長くなっているのだ。
これまでの面会時間は15分だったのが、20分
2019年7月10日21通目
前回の手紙から、ずいぶん日が経った。
こちらから最後に手紙を出したのが5月14日だったが、その後、土屋さんからの返信はなかった。
私は今月末に東京に行く予定をしていた。
自費で沖縄から東京に飛ぶため、土屋さんが他の人との面会がかぶってはいけないと思い、あらかじめ私の面会日程を伝えておくべく、葉書に下記のメッセージを書いて送った。
※おおよそ死刑囚は、『1日に面会ができる人数が一人まで』と決
2019年5月14日20通目
前回の手紙を送ってから、約1ヶ月後の4月17日、速達にて返信が来た。
毎回返信が遅いとはいうものの、1ヶ月も音沙汰がなかったこともあり、土屋さんの方からもう便りを送ってくることは無いだろうと予想していた矢先に届いた。
いつもの長3の茶封筒。郵便番号7桁の上部に赤い字で「速達」と書かれてあった。わざわざ速達で郵送してきた理由は何だろうと不思議に思いながら、封を開けた。同封されていたのは一枚の便箋
2019年3月21日 19通目
私が送った18通目の手紙から約2週間後、土屋さんから返信がきた。
封を開けると、5枚綴りで余白もないほどにびっしりと書かれていた。先日、土屋さんの最後の職場(前橋市の警備会社)の元上司を名乗る村田さん(仮名)からのメッセージを土屋さんに転送しており、それを読んでの感想が述べられていた。
村田さんのメッセージとは、土屋さんに対しての残念な気持ちと共に、事件を止めることが出来なかった村田さん自らの
死刑囚と繋がりのある人々を訪ねて④土屋和也氏最高裁弁護人(3/14付で解任)
2月の東京滞在時、土屋さんとの面会後のこと。
私は上告審(最高裁)の弁護人に、本件について取材協力を得たく連絡をとっていたが、数回のアプローチの末、その弁護人が土屋さんの存在すら覚えていないという事態があったことは前回のブログで書いた通り。
私は沖縄の自宅戻ってきてから、上告審弁護人から得られる情報は殆どないとは思いつつも、弁護人に電話した際に伝えた通り、事件番号と罪名を記載した簡易的な手紙を
2019年3月4日 18通目
先月、土屋さんの最後の職場(前橋市の警備会社)の元上司を名乗る村田さん(仮名)から、ツイッターのメッセージで連絡が来た。土屋さんについて調べていたらしく、このブログにたどり着いたそうだ。
「彼の刑が確定してしまう前に、伝えてほしいことがある」
という旨の依頼だった。
彼と関わりのある数少ない人からの連絡に、まずは驚いた。
以前にも、ツイッターを経由して、土屋さんの友人と名乗る方から連絡をい
2019年2月15日 9回目のこんにちは
午前10時前、私は成田空港に着き、その足で拘置所へ向かった。
東京の寒波は今日までだそうだ。小菅駅に着いた途端、静かに雪が降り出していた。
拘置所に着いたのは12時半頃。午後の受付と同時に、面会申込申請を済ませた。
一番面会室土屋さんは、グレーのスウェットパンツにネイビーのボアブルゾン姿で入室してきた。
「寒そうですね」
と私が声をかけると、土屋さんは、室内だからそこまで寒さがわからない
2019年1月28日 17通目
昨年末(12/30)、土屋さんに宛てて書いた手紙を送ってから約1ヶ月が経った。未だ返信はない。
東京滞在時のスケジュールをそろそろ詰めたいと思っていた私は、上告審(最高裁)の先生へ連絡を入れてくれたかどうかを知りたく、寒中見舞いと題した葉書に下記のように綴った。
2019年1月28日 土屋和也さまへ 17通目寒中お見舞い申し上げます
ご丁寧な年賀状を頂き、ありがとうございました。
無事、沖
2018年12月30日 16通目
先に、12月25日午前の出来事について書き残しておきたい。
前回のブログの通り、私は土屋さん宛に手紙を送ってから返事を待たず、12月25日の朝、東京拘置所に向かっていた。
年内(平成)最後の面会同じ日の午後3時半に、私は羽田空港から那覇空港行きの便に乗ることが決まっていた。沖縄移住で、しばらく面会に伺えないため、フライト時刻までの隙間時間で、どうしても年末の挨拶をしておきたかったのだ。
朝9
2018年12月12日 15通目
随分久しぶりの便りとなってしまった。最初は土屋さんからの返信がこない事が多かったが、最近は私が返信を忘れることが多かった。
私は以前の14通目に、バースデーカードを送っていた(前回のブログで触れた通り)。
そのお礼とともに、彼から絵が届いたのだ。
昨日の取材時、土屋さんから絵の完成を聞かされていたものの(11月27日付ブログ・8回目のこんにちは参照)、到着を待ちわびていた。
先に、土屋さん
2018年11月27日 8回目のこんにちは
土屋さんの裁判で、2審(=控訴審。東京高等裁判所)代理人を務めたわたなべ先生の取材を終えた後、私はその足で拘置所に向かい、土屋さんと面会を果たした。
4番面会室
どんな格好をしていたか、すっかり忘れてしまった。今日は少し表情が明るい気がしたのだ。それに気を取られてか、もしくはいつものラフな格好が馴染みすぎてか、どんな服装だったか覚えていない。
そんなことより、土屋さんは入室して立ったまま着席