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鉄道史を学ぶなら道路史を学ぼう

この記事は、2021年7月26日にnoteに投稿した 鉄道史を学ぶなら道路史を学ぼう(旧版) をリメイクしたものです。分かりやすくするために、項目ごとに見出しをつけ、情報量を増やしました。

こんにちは。交通技術ライターの川辺謙一です。
今回は、「鉄道史を深く知るなら道路史を学ぼう」という話を書きます。

■鉄道史の本に書かれたことがすべてではない

え? なぜ鉄道史を知るのに道路史を学ぶ必要があるの?
そう思う方は多いでしょう。

結論から言うと、鉄道史には、道路史を知らないと見えない部分が存在するからです。
とくに日本の鉄道史は、日本の道路史を知らないと見えない部分が多々あります。

その理由を、を例にして説明します。
鉄道史を知りたいと思ったら、多くの方はまず鉄道史の本を読みますよね。

ただし、鉄道史の本に記されたことが鉄道史のすべてではありません。それは、「紙幅」という制限があり、鉄道史のすべてを1冊にまとめるのが難しいだけでなく、鉄道史の本では扱いにくい事実があるからです。

鉄道史の本は、基本的に鉄道に興味がある読者をターゲットにしているので、鉄道にとってネガティブな歴史的事実があまり書かれていないことがあります。

とくに日本では、鉄道趣味が発達しているので、日本で出版された鉄道史の本はこの傾向がよく見られます。また、海外の鉄道史をほとんどふれず、日本の鉄道史におけるポジティブな出来事しか記されていない本も少なからずあります。

このため、日本の鉄道史の全体像に迫るには、「鉄道以外の輸送機関の歴史」や「海外の鉄道史」を知る必要があります。なぜならば、日本の鉄道そのものだけではなく、それを取り巻く環境の時間変化を把握しないと、歴史の全体像が見えて来ないからです。

なお、この記事では、日本における「鉄道史と道路史の関係」に迫るため、「海外の鉄道史」の話は割愛させていただきます。

日本の鉄道にとってネガティブな事実の代表例が「他交通の発達による鉄道の衰退」です。とくに道路網の充実による自動車交通の発達が、鉄道に大きなダメージを与えたことは、もっともネガティブな事実です。

この事実は、日本の鉄道史の本にあまり記されていません。
だから鉄道史を深く知るには、道路史を知る必要があるのです。

■道路整備がないがしろにされた歴史

日本では、明治時代から鉄道整備が優先されたいっぽうで、道路整備が1950年代までないがしろにされてきました。それは、鉄道が国家の近代化に必要とされてきたことや、道路の必要性が長らく認識されていなかったことが関係しています。

そこで私は、このことを踏まえて、2020年11月23日にX(旧ツイッター)で以下の記事(ツイート)を投稿しました。

鉄道史を深く知りたいなら、道路史を学ぶのが早道です。日本では1950年代まで交通政策が鉄道偏重で、道路整備がないがしろにされた歴史があります。このことは、道路史の本には書いてありますが、鉄道史の本にはほとんど書いてありません。だからこそ、道路を通して鉄道を知ると理解しやすいのです。

このツイートは、内容のめずらしさゆえか多くの方に読んでいただけました。また「学ぶための参考書を教えてほしい」というご質問もお受けしました。

■おすすめする2冊の参考書

そこで今回の記事は、私がおすすめする参考書として、次の2冊をご紹介します。

  • (1)武部健一著『道路の日本史 古代駅路から高速道路へ』

  • (2)ワトキンス・レポート

以下、それぞれの概要を説明します。

(1)武部健一著『道路の日本史 古代駅路から高速道路へ』


『道路の日本史』

1冊目は、武部健一著『道路の日本史 古代駅路から高速道路へ』(中公新書2015年)です。

本書は、日本の道路史の全体像を俯瞰することができる貴重な書籍です。新書なので、一般の書店で購入することができます。

ここでわざわざ「貴重」と書いたのは、日本の道路の通史をまとめた書籍がほとんど存在しないからです。

出版社の紹介ページには、次の文が記されています。

邪馬台国の頃には獣道しかなかった日本列島も、奈良時代になると幅12mの真っ直ぐな道が全国に張りめぐらされ、駅馬の制度が設けられた。中世には道路インフラは衰退したが、徳川家康は軍事優先から利便性重視に転換して整備を進める。明治以降は奥羽山脈を貫くトンネルを掘った三島通庸、名神高速道路建設を指揮したドルシュなど個性溢れる人物の手によって道路建設が成し遂げられる。エピソード満載でつづる道路の通史。

中公新書『道路の日本史』紹介ページより引用

この本を読むと、以下の2点を知ることができます。

  • 日本では道路整備が長らくないがしろにされたという事実

  • 鉄道偏重だった交通政策

この2点は、日本の鉄道史を知るうえで大きな鍵となります。

そこで、この記事では、次に紹介する2冊目の内容にふれながらくわしく説明します。

(2)ワトキンス・レポート

2冊目は、アメリカのラルフ・J・ワトキンス氏が率いる調査団(計6名)が1956年にまとめた調査書『日本国政府建設省に対する名古屋・神戸高速道路調査報告書』、通称「ワトキンス・レポート」です。これは、先ほど紹介した調査団が、日本の交通政策や道路事情を調査した結果をまとめたものです。当時の日本の建設省(現在の国土交通省)は、日本初の都市間高速道路(現在の名神高速道路)を建設する妥当性を示すため、同調査団に調査を要請しました。

通称「ワトキンス・レポート」の表紙

この本では、巻頭が写真集になっており、当時におけるアメリカの整備された道路と、日本の整備されていない道路の写真が載っています。この写真集を見ると、その差が歴然であることが分かります。

その写真の例をご紹介しましょう。

(アメリカの)ニュージャージー ターンパイクのプラスキー スカイ ウェイの立体交差(『日本国政府建設省に対する名古屋・神戸高速道路調査報告書』より引用)
日本の道路の現状(『日本国政府建設省に対する名古屋・神戸高速道路調査報告書』より引用)

この2枚の写真は、写真集に掲載された写真のほんの一部ですが、両者の整備状況の差がよく分かりますね。

先ほど、(1)『道路の日本史』を読むと「日本では道路整備が長らくないがしろにされたという事実」が分かると書きましたが、2枚目の写真は、その結果です。

なお、この本には、2枚目の写真が日本のどこで撮影されたものかが記されていません。ただ、後述する「復刻版」に追加された説明には、これが「国道1号」のものであることが記されています。

国道1号は、言うまでもなく、東京・名古屋・大阪を結ぶ自動車輸送の大動脈である道路。そのような重要な道路に、雨が降ると路面がやわらかくなって自動車が走れなくなる未舗装区間があったなんて! 少なくとも私にとっては驚きの事実でした。

この本は、先ほど紹介した「写真集」から始まり、「総説」、そして「調査結果と勧告」へと続きます。

この「調査結果と勧告」の冒頭には、日本の道路政策を調査した結果を示す「道路運輸政策」という節があり、その一番目に太字で次の文が記されています。

日本の道路は信じがたい程に悪い。工業国にして、これ程完全にその道路網を無視してきた国は、日本の他にない。

『日本国政府建設省に対する名古屋・神戸高速道路調査報告書』p9より引用

この文は、この本の「目玉」ともいうべきものです。日本の道路政策の弱点を痛烈に批判した部分です。

また、この本には、鉄道偏重の輸送体系を批判した部分が多数あります。たとえば23ページでは、「日本の輸送体系には三つの顕著がある」として、次の3点を指摘しています。

  1. 鉄道の支配的地位

  2. 日本の道路が信じがたいほど貧弱な現状

  3. 満足な道路の欠乏にもかかわらず自動車交通の成長が目覚ましい

この後には、次の文が続きます。

高度に工業化された国において、このように鉄道輸送が全般的に卓越し、道路輸送がひどく遅れた状態が状態にある著しい差違を示しているものは、日本のほかにない。

『日本国政府建設省に対する名古屋・神戸高速道路調査報告書』p23より引用

つまり、1950年代の日本は、鉄道輸送がたいへん発達しているのに、道路輸送がとてつもなく未発達で、両者のバランスがとても悪い国だったのです。

さあ、ここまで読んだ方のなかには、「ぜひ読んでみたい」と思う方がいるかもしれません。

ところが、この「原書」は一般販売されておらず、国立国会図書館などの限られた施設でしか読むことができないのが現状です。

ただ、この調査書で日本における道路整備の大幅な遅れを指摘されたことは、建設省にとって衝撃的で、日本の道路政策が大きく変わるきっかけになったとされています。先ほど私が「1950年代まで」と書いたのは、本書が記され、道路政策が大きく変わったのが、ともに1950年代だったからです。

この調査書を読むと、『道路の日本史』に記された内容に対する理解をより深めることができます。

なお、2001年には、ワトキンス・レポート45周年記念委員会編の「復刻版」が勁草書房から出版されています。この本には、「原書」が記された背景や、建設省に与えた影響、そして「原書」ではふれていない裏話なども記されています。

この「復刻版」は一般販売された本ですが、出版社の紹介ページには「品切れ・重版未定」と記されています。Amazonでも販売されていますが、中古品が高価で扱われています。

■道路の発達と鉄道の衰退

さて、先ほど紹介した「鉄道の支配的地位」については、鉄道以外の輸送機関が発達した今となっては分かりにくいので、補足説明をします。

日本では、長らく鉄道が国内交通の主役であり、国内の旅客輸送や貨物輸送において大きな分担率(シェア)を占める輸送機関でした。その分担率において鉄道が自動車に抜かれたのは、1970年代です。

それは、1950年代まで、日本の道路があまりにも貧弱で、自動車が鉄道の競争相手にならなかったからです。

また、戦前の日本では、鉄道技術者が自動車の設計にも携わっていました。たとえば、島秀雄さん(1901年〜1998年)は、戦後に国鉄の技師長を務め、東海道新幹線の建設に尽力した人物として知られていますが、戦前には国産標準自動車の開発にも携わり、『機械学会誌』に記事を投稿しています。

私は、以上のような事実から、鉄道が国内交通で支配的地位にあったことを知りました。それは、鉄道からあえて離れ、道路自動車の本を書くために調査、取材したのがきっかけでした。

日本では、1950年代から道路整備が急速に進んだおかげで、自動車の保有台数が急増し、1970年代からモータリゼーション(自動車社会)が本格的に進展しました。

また、日本政府が自動車産業の発展を推進した結果、自動車産業は日本の基幹産業となりました。経済産業省が発行した『自動車産業戦略2014』には、次のような文が記されています。

自動車産業は「国民産業」であり、日本を代表する「ブランド」なのである。

経済産業省『自動車産業戦略2014』p4より引用

この文で使われている「国民産業」や「ブランド」というキーワード。日本の鉄道に関しては近年聞いたことがない言葉ですね。あえて言えば、かつては鉄道が「国民産業」であり、国内産業のけん引役だったのですが、時代は変わりました。

以上述べたように、日本では戦後になって道路整備や自動車産業の発達が急速に進みました。いっぽう鉄道は、自動車だけでなく、航空や船といった他の輸送機関の発達によって、かつてあった優位性を失い、衰退しました。

このことは、日本の鉄道史を知る上できわめて重要な事実です。

ところが、この事実は、日本で出版された鉄道史の本にはほとんど書かれていません。これは、日本で記された鉄道史の本の多くが鉄道を楽しむ人をターゲットにしており、鉄道にとってネガティブな記述を回避した結果ではないかと、私は考えています。

鉄道に興味を持ち、その歴史をより深く知りたいと思った方々は、ぜひこれを機に、先ほど紹介した2冊を読んでみてください。

そうすれば、道路史を通して鉄道史に意外な側面があることがわかり、鉄道をより深く理解することができる。私はそう考えています。

■おわりに

最後まで読んでいただきましてありがとうございました。
今回書いた鉄道史と道路史の関係の詳細については、私の著書『東京道路奇景』に記しています。

『東京道路奇景』

この本は、東京の道路が織りなす不思議な風景を「東京道路奇景」と呼び、それができた背景を探ることで、東京の都市計画や交通の歴史に迫っています。また、東京の道路網が計画の約6割しか完成していないという「未完成」ぶりから、東京という都市が持つ「伸びしろ」を探るという試みもしています。

この本は、タイトルに「奇景」がついているゆえか、よく「道路の写真集」と誤解されます。

実際は、「東京道路奇景」と名付けた風景を入り口にして、先ほど述べた東京の都市計画交通史に迫るという内容になっています。

Amazonの紹介ページには、次の文が記されています。

道路の上にも下にもまた道路、8層にも及ぶ多層構造。
墓地やグラウンドの下を通る道路――。
なぜ、アクロバティックな立体構造がこんなにも多いのか?
東京の道路が織りなす珍しい風景=「東京道路奇景」から、東京の「伸びしろ」が見えてくる!
図版写真100点以上。QRコードで現地確認できる!
東京の道路が織りなす珍しい風景=「東京道路奇景」の多くは、道路整備の大幅な遅れを短期間で取り戻すため、苦肉の策として建設されたものだ。 それでもなお、東京の道路は計画の6割しか完成していない。
しかし、考えようによっては、この道路整備の遅れは、都市の「伸びしろ」でもある。東京は道路について、まだ4割も成長余地を残しているのだ。
東京は、道路によってどのように変わっていくのか、また、変わってきたのか。
「東京道路奇景」から、東京という都市の来し方行く末が見えてくる。

Amazon紹介ページより引用

もしご興味がありましたら、こちらもご覧いただけると幸いです。もちろん電子版もあります。


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