首都高速道路や東海道新幹線は、東京五輪のために造られたのではなかった?
こんにちは。交通技術ライターの川辺謙一です。
いよいよオリンピック(東京五輪)の開会式の日(2021年7月23日)が近づいてきましたね。
そこで今回は、前回の東京五輪(1964年)をふりかえり、「首都高速道路や東海道新幹線は、東京五輪のために造られたのではない」という話をします。
こう書くと、驚く方もいるでしょう。マスメディアが、「東京五輪のために造られた」と報じることがよくあるからです。
結論から言うと、これはよくある誤解です。
たしかに首都高速道路や東海道新幹線は、1964年の東京五輪と深い関係があります。これらはともに、国家プロジェクトとして、五輪の開会式の直前までに整備されたものです(首都高速道路は一部区間)。
また、首都高速道路は、空の玄関口である羽田空港と、国立競技場などの主要競技場、そして代々木の選手村を結び、五輪会期中の主要輸送ルートとして重要な役割を果たしました。
これだけ深い関係があるとなれば、「東京五輪のために造られた」と言われても、違和感を覚える人は少ないかもしれません。
しかし、よく考えてみてください。
そもそも東京五輪は、わずか2週間程度で終わってしまう一時的なスポーツイベントにすぎません。
それだけ期間が短いイベントのためだけに、莫大な費用をかけて首都高速道路や東海道新幹線を建設したとなれば、会期が終わったあとの需要を考えずに無謀なインフラ整備をしたことになります。
これでは国家プロジェクトとして大きな問題があります。
では、首都高速道路や東海道新幹線は、何のために造られたのか。それは、当時の交通状況を改善するためです。
首都高速道路は、東京の道路交通の状況を短期間で改善するために造られました。東京では、戦後から自動車保有台数が急増したのに、都市の基盤となる幹線街路(都市計画道路のうち幹線となる道路)はわずか21%(1956年12月時点)しか完成していなかったので、限られた道路に自動車が集中して渋滞が頻発し、都市機能がまひしそうになりました。そこで、都市空間を立体的に利用した都市高速道路(首都高速道路)を整備し、都市全体の交通処理能力を高めることになったのです。
東海道新幹線は、輸送力が逼迫した東海道本線を救済するために造られました。東海道本線は、日本の3大都市を結ぶ重要な鉄道路線であるゆえに、多くの旅客列車や貨物列車が走っていたため、戦後の輸送需要の増大によって輸送力不足に陥りました。そこで、東海道本線の線増(線路を増やすこと)が検討され、結果的に東海道本線とは別ルートを通る鉄道を新たに造ることになったのです。
つまり、どちらの目的も、東京五輪とはなんら関係がないのです。
しかも、首都高速道路のような道路を造る構想や、東海道新幹線のような鉄道を建設する計画は、戦前から存在しました。
たとえば東海道新幹線の元になる構想として弾丸列車計画があったことは、ご存知の方も多いでしょう。同じように、戦前には首都高速道路のような都心を通る道路を整備する構想があったのです。
つまり、どちらも戦前から必要と考えられていたものだったのです。
では、なぜ東京五輪の直前までに造られたのか。それは、当時交通状況の悪化によって必要性がきわめて高くなったからです。
基本的にインフラ整備のような大規模な公共事業は、社会的に許容されにくいです。ところが五輪のような大規模で、世界の注目を集めるようなイベントのために進めるとなると、社会的な許容度が上がる傾向があります。このことは、都市計画の書籍にときどき記されています。
かんたんに言うと、ふだんは必要性が理解されにくい公共事業でも、「オリンピックのため」というわかりやすい理由があると、多くの人に「仕方ない」と許容してもらいやすくなる、ということです。
以上のことをまとめると、1964年の東京五輪は、首都高速道路や東海道新幹線の整備のために利用されたことになります。当時は、それらの整備が急務だったので、東京五輪の力を借りて短期間で整備したのです。
だから「東京五輪のために造られた」というのは、よくある誤解です。
実際は、今まで説明した目的や経緯があって造られたものだったのです。
なお、私が2018年に出版した新書『オリンピックと東京改造 交通インフラから読み解く』(光文社新書)には、このあたりの経緯がくわしく書いてあります。この新書の帯には、「首都高、東海道新幹線は、東京五輪のために造られたのではない。」と記されています。
もし興味を持たれたら、ご覧いただけると幸いです。
【参考文献】
『首都高速道路公団二十年史』首都高速道路公団,1979年
『東海道新幹線建設誌(土木編)』日本国有鉄道東海道新幹線支社,1965年