旅行│秋葉橋の印象
藤枝静男の作品にしばしば登場する秋葉山・気多川に、いちどだけ行ったことがある。大学一年の前期のことだったが、当時はまだ藤枝を知らなかったはずなので、まったくの偶然だった。行くことに決めた経緯も偶然そのもので、たまたま大学の講義で「橋をスケッチせよ」という課題が出た際に、スケッチがてら大井川と天竜川とをバイクで走ろうと考えて、大井川と天竜川とのあいだにある気多川に架かる「秋葉橋」に行くことにした。グーグルマップのストリートビューでその無骨な趣と水色の塗装に惹かれて決めたのだが、行ってみるとまさに秋葉山の麓にあった。
川岸のオートキャンプ場を抜けて広い河原をすこし下流へと歩くと、目の前に橋の全容が望める。スケッチは翌日に家に帰ってからしようと考えていたので、まだ山中らしい拳大ほどの丸石がごろごろする河原に腰を落ち着けて、写真を撮ったのちは二十分ほどただ橋を眺めていた。
実際に目の前に架かる橋は、パソコンの画面で見たそれよりも貧相で痩せこけて見えた。楽しみにしてきた水色の塗装はところどころ剥げて、鉄の露出した部分は錆びて赤茶けた色を呈していた。塗装の水色も薄曇りの白っぽい光のなかに曖昧に沈んで、まったく何の印象も与えてはくれなかった。無骨どころではなく、華奢というよりは貧相で、全体として老いさらばえたような頼りない雰囲気をまとっていた。
だが、一見して感じた失望は、座ってじっと眺めているうちに、眼前の風景に溶け、吸収されゆくようだった。
元来私は薄曇りという空の様相が好きだ。緊張した精神に曖昧でぼんやりとした不安や喜びがときおり訪れ、去ってゆく。鈍重でしかし繊細な光線は、あらゆるものの影を薄くする。ざっくばらんに言えば、薄曇りとは、いわば青年期に特有の鬱屈とした心理とよく似通っている。とくに谷川俊太郎の『二十億光年の孤独』における数々の詩は、いずれも薄曇りの日の光のようなぼんやりとした光をまとっていて、柔らかな光の粒子のような言葉たちに、私は感謝の気持ちすら抱く。彼の詩に、薄曇りの空に、私はある種の肯定的な柔らかさを感じる。
もっとも、風景と精神とは現実的には分かたれたものであるが。思う頭と、見る眼とは、本質的に別個であり、むしろ別個である方が健全ですらある。
一方で、風景に自身の精神を預けきって、その風景のただなかに在りたいと思える瞬間も確かにある。だが、それは現実主義者の眼からするときわめて不健全なのである。
つまり、気多川で橋を見ていた私は、孤独で不安定な自身を、ぼんやりとして印象を欠いた風景のなかに置き、いわばカメレオンのように同化することで、束の間の不健全な快楽を得ていたわけである。
目の前には、白い河原がのっぺりと広がっていた。視界を横断する橋は大した高さでもなく、橋脚もくすんだ灰色でリズムは感じられず、あたりののっぺりとした印象を強調していた。新緑の季節だったから川の両岸には繁茂した草木がほとばしるような様子だったが、それもまた、白っぽいざらりとした光のなかでは、みな一様に押し黙って色あせていた。そもそも、もはや川の中州ともいっていいような場所に位置するこの広大な河原からは、川面も、両岸の崖も、その上の植物も、遠いなだらかな山々も、いずれもはるか遠くに感じられ、どこか色を失って見えるのだった。
川面を走る風は温く頬を撫で、やがて訪れるであろう雨雲の気配をかすかに伝えていた。上空には鳶が二三羽旋回していたが、川へと下降してくることはなく、いつしか消え去ってしまった。橋を通る車は皆無に等しく、耳に届くのは変に虚ろに響いて聞こえる川の音だけだった。川はずっと「どうどうどうどう」と流れているようだったが、いちど耳を傾けてみると、その音は「ごうごうごうごう」とも聞こえたし、「ゴーーーーー」と長音を引き延ばしたような連続性をもって響き続けているようにも聞こえた。
そんな川の音に耳を傾ながら広大な空を眺めていると、白く空を覆う雲はそのかすかな陰影を絶えず変化させていた。とりわけ黒っぽく陰りを帯びた雲は風に乗って急速に形を変えながら移動し、遠い濃緑の山々の方へと去っていった。川を取り囲む山々は、いずれも女体のような柔らかな輪郭をしていて、いくつかの山にはその稜線に沿って送電線がめぐらされていた。女体の印象からすると、それは身体を傷つける異質なものに他ならなかったが、別に山々や送電線や鉄塔は、私の印象とは無関係にそこに在るのだった。
橋はもう当初の失望の印象をなくして、ごく自然に風景に溶け込んで見えた。むしろぴかぴかした光沢ある水色であったなら、私はきっと不快に感じただろうとすら思えた。私もあの橋のように、身をやつしてうずくまっていたいと思った。あるいは、橋に身体性をみるなら、両手を伸ばしてただ突っ立っていたいとも。その鉄骨はやはり痩せて見えたが、もはやそんな貧しさがかえって好ましかった。そんなふうに橋を眺めるのも私のエゴだと思った。だが、そう考えたところで、私がいようがいまいが、この橋はここに在りつづけるのだと思った。