ファンキーな不動産屋の九州滞在記~2日目前半~。
2023,02,13~2023,02,18の5泊6日で訪れた長崎~佐賀~福岡~熊本、一人旅。
京都一ファンキーな不動産屋の実に偏った九州滞在記。
今回、そもそものきっかけは、エコビレッジ サイハテの坂井くんから来てよって言われた事。でも、遠くてなかなか行けないだろうと、近くの産業遺産、斜陽商店街、戦後のドサクサ飲み屋街、公営住宅に特化して、廻らせていただきました。
全行程で撮った写真は1,900枚。そこから選びに選んだ写真たちと旅の途中に綴ったメモ書きでお伝えします。
今回は2日目2023,02,14前半分。長崎の思案橋横丁辺り~軍艦島(端島)までです。お付き合いくださいませ。
〇朝8時15分乗船手続き開始だったので、気が気じゃなくて、早起きしてしまったから、朝から、思案橋横丁辺りの散策へ。表側の飲み屋街には脇目もふらず、裏路地へ。
○飲み屋街の店の裏側が見える裏路地好き。こっちを表面にしたいくらい好き。
○商店街の裏に川があって、いや、そもそも、川の上の暗渠で商店街があったりして、その裏の川に商店街の背中側が増築でせり出してるの好きだな。その下に鉄とかで支えてるのとか好きなんだな。
〇1日目にも書いたけど、時代の移り変わりの中で、戦後のドサクサ飲み屋街は、人類の歴史から消されがち。万博やオリンピックなんかで粛清があったりね。切ないね。建物をなくすだけでなく、まちの景色を変えるだけでなく、そこにあった生命の営みや文化なんかも根絶やしにしてしまうから。
○飲み屋街の日中の仮死状態感、大好き。夜には目覚めたように明かりが付いて、人来る瞬間にはわりと興味ない。けど、なんか、退廃と再生を一日で見せてもらっている感じは、やっぱり好き。
〇建物の表面じゃなく、裏面の普段は人に見せないよってところに配管が這いまくっていたりするの美しい。
〇僕らが作らせてもらった「SHIKIAMI CONCON」や僕らが再生させてもらった建物が時を越え、大切に維持、管理してもらいながら、年を重ねて、未来でも、みんなに愛されているといいなと思う。朽ちていく建物と味が出てくる建物は紙一重だと思う。時代を越えて、そこに価値があると思われ続けて、愛され続けられ、必要とされ続けられるかだけだと思う。だから、僕らの仕事はとても大事だ。建物に対して、責任があるし、その建物があるまちに責任があるし、何より、未来に対して責任がある。
○Y字路好き。どっちに行くかで、この先の人生分かれる感じがある。
〇そして、今回の旅のひとつの大きな目的でもある軍艦島と呼ばれる端島。事前勉強を試験勉強ばりにして行った。香港の九龍城は行ってみたかったけど、1994年に解体されてしまっていて、知った時には、もうなくなっていて行けなかったから、ここは行けるうちに行っておきたかった。
〇船で近づいて行っている時から、ぐっと来てた。
〇軍艦島は事前勉強のせいもあって、とりあえず、切なかったなー、泣けって言われたら完全に泣けた。島に降り立った時の素直な感情はマジで切なかった。ツアーの人がたくさんいたから、泣いたら、完全に変な人やと思われるからぐっと堪えたけど。あれはなんなんやろな。そこに生きた人がいて、立ち去らないといけなかった事実に対してなのか、島目線で勝手に目覚めさせられたのに、必要なくなったら捨てられたみたいな気持ちになったのか、いや、いやいや、そもそも、島目線って何よ。あと、人間のワガママっぷりとかかな。そこまでして進まないといけない時代背景があったんだろうなとか。その全部が押し寄せて来たな。
〇なんだろな。何から伝えれば良いんだっけな。世界遺産だって事?なんだろ。人口密度が世界一位だった事?詳しい事は、ネットにたーくさん出てるから、興味のある人は調べてちょ。これは実に偏ったファンキーな不動産屋の滞在記だ。
○軍艦島ツアーって、3回に1回は上陸できないねんてさ、風が強いと波が強くなって、島に船が近づけないらしい。ちなみに、僕の行った前の日は午前も午後も上陸できてなかったらしい。俺、日頃の行い良いから、上陸できた。ちなみに、沖縄のホエールウォッチングも割りと見られない時があるらしいけど、見られたしな、俺。
〇下の写真の右に連なって建ってるやつはベルトコンベアーのあとだ。
〇下の写真の右手の壁は、昔の島の護岸壁で、昔はここまでしか島がなかったそうだ。軍艦島は1893年(明治26年)から1931年(昭和6年)までに、6回にわたる埋立工事を行い、どんどん大きくして、自然の岩礁から現在の半人工島の形になったそう。
〇軍艦島って、岩礁と人工の島だから、緑なき島とかって言われていて、島民は、狭い敷地を有効活用して緑を増やそうと、屋上に農園や田を作り農作物を育てていた。でも、人がいなくなったら、こんなにも緑が溢れた島になるんだよ。
〇当初、三菱合資会社が軍艦島を10万円くらいで買ったそうな。もう石炭が出ないとされていたそうだ。
○まぁ、観光地としてみれば、当たり前なんだろうけど、軍艦島の上陸ツアーで10人くらいで来てる30代くらいの人たちがいて、ノリで回ってる感じがすごかった。その人たちを見て、ああ、俺、寂しいけど、一人で来て良かったなと思った。目の前の光景をしっかりと感じられなかっただろうなと思った。人生に何回も来られないところだろうなと思うからこそ。
〇ここだけ、保存工事が行われていた。
〇下の写真の上に見えている灯台は閉山されてから建てられたそう。島が生きている時は炭鉱が3交代で24時間稼働していたら、不夜城と呼ばれ、夜中も明るかったので、灯台は要らなかったんだって。
〇下の写真の灯台の横に見える建物は貯水タンク。1957年、日本で初めての海底水道を2本敷設し、1日約1,000t の水を長崎市内から引き入れた。それまでは、タンカーで一日三往復だったかな、して水を確保していたんだって。
〇下の写真のこの辺りのセメントが剥がれ落ちた護岸は、日本にセメントが普及する前に用いられた天川と呼ばれる石灰と赤土を混ぜ合わせた凝固剤で、凝固された石材を使用しつくられた護岸を「天川工法」と呼ぶそうだ。ガイドさんが触っても良いですよって言うから、触ってみたら、カッチカチやったぞ。
○軍艦島の話で、軍艦島は日本の縮図というか、日本での生活に必要なモノすべてが詰まっていたみたいな話をされていたんだな。映画館とかスナックとか、マージャン屋さんとか、生活に必要とされるすべてがあったそうな。それってさ、結局、島ごと消費してしまうとことか、一周まわって、もはや皮肉かなとさえ思った。
〇高度経済成長期の先頭を走り、高度経済成長の終わりの後、軍艦島は1974年に閉山した。もちろん、日本と言う国にとって高度経済成長期は必要な期間だったけど、そのノリを続けていっても、その先には何もないって事を学ばないといけないと思うんだけどなぁ。この島はそんな象徴にも見えた。すべてを使い捨てにして、僕らはどこに行くんだろう。
○人が勝手に開拓して、島の形を変えて、広げて、必要がなくなったら、勝手に捨てて、つくづく人って勝手だなと思った。資本主義の縮図感あった。
○当時の白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の三種の神器も軍艦島ではほぼ行き渡っていたそう。日本国全体で言えば、その普及率は圧倒的だったそうだ。テレビなんかは日本では普及率10%の時に、軍艦島ではほぼ100%だったんだって。労働環境が良くなかったから、生活面の待遇はできるだけ良くしようとしていたんだな。目先を散らして、民を気付かせないようにする感じな。歴史上もそうやけど、国内の問題に目を向けさせないように、国外、外交の問題をちらつかせて、国民の目をそっちに向けさせる感じと近い。
○軍艦島は会社の職場と寮が一体になったモノだから、プライベートやプライバシーなんかはほとんどなかったみたい。カースト制度みたいな空気が強かったみたいよ。住居なんかに如実に現れていたそうだ。会社の上層部の人は波がかからない一番高いところに住んでいたり、単身の労働者は1階の湿気や臭気のあるところに住まされていたりと。
〇でも、その後にテレビや書籍なんかで取材したら、軍艦島にいた人はみんな良かったって言うんだって、今、振り返えればのやつね。全体がひとつの家族みたいだったって。そもそも、聞く人偏ってない?問題はあるんだけれど、島を出て、人との関わりが薄くなって、関わりが濃いと嫌な面もあるけど、人との関わりがほとんどないと自分は存在しているのかな?ってなるよね。それよりは、多少嫌な事があっても、関わりがある方が良いというのは理解できる気がする。
〇ああ、書いとかないといけないやつを思い出した。僕が勉強前に知っていた知識としては、軍艦島には日本最古の鉄筋コンクリート造の高層アパートがあって、そもそも、人がまったくいなく、維持管理がされていないというのもあるけれど、波が高いところだから、塩害がすごく、朽ちるスピードが速くなり、その過程や状態が貴重な研究材料になっているという事だった。けど、勉強して知ったのは、それ以前に、この島は岩礁でできているから、コンクリートをつくるための土が無く、東にある半島の海辺から土を持ってきたらしく、そもそも、コンクリートをつくる土に塩が含まれていたそうで、内側から錆びが進行したそうだ。だから、朽ちるのは早いそうだ。これは知らなかったから、なるほどと思った。だから、普通に建てていれば、放置していても、こんなに早くは朽ちない。
○軍艦島でだいたい、僕はツアーから遅れがちになりながら、写真を撮ってたら、だいたい、同じくらい遅れている女の人がいて、変わった人やなぁ、ああ、ちゃんとしてる人いるやんと思って、うれしかった。
○軍艦島ツアーの帰りのフェリーで、限定公開的な撮影禁止の軍艦島の昔の生きていた時の映像が流れててんけど、その間、寝てる人は何を見に来たん?何を感じに来たの?って思った。僕なんて、船の中、ほぼ満席やってんけど、どうしても観たくて、たまたま、空いていた知らん女性の隣の席にケツ半分くらいだけ椅子に乗せて見たもんよ。なんで、こいつ隣に来たん?キモって思われないようにね。
〇これも帰りのフェリーで知ったんやけど、実写版の進撃の巨人のロケ地、軍艦島やってんてね。映画観てないけど。なんか、これ、ある意味スゴいなと思った。今、現実の建築業界よりも、映画とかゲームのクリエイターの方が優れているんじゃないかと思っていて、だって、映画やゲームの中では思ったイメージ、アイデアを実現するのに、重力とか、法律とか、構造とか関係なく、創造性をフルに発揮できるからね。そっちの業界に行くのはしょうがないと思う。でも、僕は僕らが住むリアル世界で起きる事の方が格好良いと思っている派なんだけど、CGだなんだがこんなに進化しても、圧倒的なリアルな景色には勝てないんだなって。あー、これからの時代の流れには逆行するんだろうけど、リアルとヴァーチャルの価値がひっくり返るくらいリアルの世界を格好良くしたい。
○集落が死んだり、商店街が死んだり、たくさん見てきたけど、島も死ぬんだなと。というより、無理矢理、生まれさせられて、殺された感を感じた。
○軍艦島、本名、端島からの池島の流れの一日は、人生で訪れた場所?まち?集落?島?史上、最もと言って過言ではないくらい、心が震えたし、心が感じたし、それを理解しようと頭もフル稼働した。比べるモンじゃないとは思うけど、映画村とか、ディズニーランドとか、USJとかの作られた魅力じゃなく、圧倒的リアルの魅力。ハリボテじゃない、目の前の圧倒的な光景に心震えた。
〇2023年2月14日後半は池島へ。