赤毛のアンと岩手 11/7
「岩手どうでした?」
って職場で聞いてくれる人がいたので嬉しくなってしゃべってしまった。本の背表紙を地図に見立てて、真ん中辺りを指差し、「ここが花巻だとしたら、遠野はどの辺ですか?」とか聞いてくれるから! しびれるだろう?
岩手に行ったことのある人でもあり、自分が行った時は中尊寺を見た後、平泉から盛岡まで時間がなくて新幹線乗ったと言っていて、ワカルーとなった。
岩手はとにかくよかったすべてよかった気持ちよかったとただ繰り返す私に、わかりますと応じてくれるのがいい。
すべての休み時間、岩手のことを話してしまった。
🌲
「ところで、○○さん(私のこと)は何によって作られましたか?」
と尋ねられた。本とかのことらしい。
いい問いだなと思って瞬時に返したい、と思い付いたのは『赤毛のアン』だった。
正確には、岩手に行く直前に見たドラマ『アンという名の少女』。数年前にNHKでやっていたものを録画していた。
子ども時代に本で読んだ『赤毛のアン』を断片的に覚えていたらしい。ドラマの節々に知っている展開が現れるのを、記憶をなぞるようにして夢中で見た。
・道や馬に名前を付けるアン
・とにかくずっと想像している
・働き手となる男の子が欲しかった姉弟のもとに、孤児院から間違ってアンがやってきたこと
・駅まで馬車で迎えに行ったマシュー(弟)は、喜んで話し続けるアンに真実を言えないまま家に連れ帰ってくる
・通い始めた学校で、ギルバートに赤毛を「にんじん」とからかわれ、激怒して石板(昔のノート)で殴り付けること
・友達になったダイアナに間違えてぶどう酒をふるまい、酔っぱらわせてしまうこと
・ダイアナの親にめちゃくちゃ怒られて遊べなくなること
・袖のふくらんだ服を欲しがること
そういう物語を喜んで読んだり、アニメで(?)見たりしていた。もしかしたら何回も。
アンに限らず、子どもの頃に好きだったものは展開がわかっていても繰り返し読んでいた。子どもってそういうものだ。それによって物語の楽しさを知ったように思う。家族の習慣で2週間ごとに区の図書館に行っていたことも思い出す。
自分が『赤毛のアン』によって作られたか? というとそんな立派な思い出があるわけじゃない。でも、アンと自分が少し似ているかもしれないと思うとわくわくする。
そして、このドラマの脚本は今の人たちの感覚に訴える部分が多くあり、めちゃくちゃいい。
(アンが、自分の「不器量」な容姿について執拗に口にすることや、生理のことも十分に描かれる。生理はめんどくさくて煩わしくなくなればいい! というニュアンスで、マリラと友達が会話する。)
そもそも、男の子が欲しかったのに女の子が来た、という始まり方からして、そういうことが意識された原作だったんだな。だから好きだったのかもな。
そして、岩手が! ドラマの中のプリンスエドワード島やグリーンゲイブルズと重なった。何もない原っぱ、吹きすさぶ風、森。荒野。川。崖。
岩手はプリンスエドワード島かもしれない。
2022/11/7 めぐみ