湯布院でまったりする旅に出て、改めて“映え”について考える。
比較的、出張が多い仕事をしています。
否、「週に4日5日は家にいない」というハードワーカーほどでもありませんが、月に1週間から10日くらいは地方を旅しているのがここ25年来の暮らしです。
そのくらいがちょうどいい。サラリーマンの頃から、ひとり取材で東北から九州まで地方都市を回っていたので、月に1日も県外に出ないのは、なにかよくわからんが「体の中の血が濃くなってしまう」ような心持ちになってしまいます。
生まれは横浜、最初の仕事場はたまたま六本木だったけど、若い時分は都心でブイブイ(死語)言わせるような遊び方も知らず、カメラ持って裏道風景を撮ったり、オフロードバイクを乗り回したり、昭和な酒場ののれんを割ったりして遊んでました。
その当時から楽しいと感じてたのは「地方の旅」。
20代で北海道、30代で東南アジアにハマり、その隙間で出張先の大阪、九州、青森あたりに行って酒飲むのがお気に入りでした。大阪が「第二の故郷」と、どっぱまっていた話はまたのちほどゆっくりと。
湯布院のショップたちが頑張る「映え」が半端ない
で、こないだ九州の出張ついでに立ち寄ったのが、初「湯布院」だったんです。まあ初老(50代)と老人(60代)が行くにはちょうどいい温泉なんじゃないかと。同世代のご仁もたくさんいるだろうと思いこんでました。
旦那と福岡で待ち合わせて、バスで2時間ほど揺られる旅。でもちょっと様子が変だなと気づいたのは、福岡空港の国際線ターミナルに停車した時。どかどかと乗り込んできたのは、アジアからのお客様。それもみんな若くて、20代~30代のカップルだらけ!
このバスの中、初老と老人はけっこう浮いています。。現地到着後はさらに韓国&台湾系ヤングカップルと三世代中国人に溢れかえっているのでした。
「湯布院はジジババの温泉宿ではなかったのか?!」
「川崎さん遅れてますよー、もはや九州の観光地はアジアの若い人たちに超人気なんですから!」
と、どこからともなく天の声(誰?)が聞こえてくるような気もしたり。もちろん、湯布院の温泉宿が衰退してしまうよりも全然いいことだし、むしろ地元のみなさんが、アジア圏の若い方に支持されるよう懸命な努力をされてきたことも容易に想像できます。
駅から続く商店街や人気の飲食店は、軒並み「映え」を意識したプレゼンテーションに余念がありません。ファサードには2か国語でのご案内版。カヌレにはリンゴのコンポートの薔薇が乗り、ピアノ鍵盤を模した人気の「ジャズようかん」は人だかり。うどん屋はガラス張りにして小麦粉をこね、和食屋は野菜と肉をお花のように散りばめた玉手箱…。
でもね、でもね。。
それはそれで、コンサルとしての自分は「さすが素晴らしい湯布院!わかってる!勉強してる!」って感心するんだけど、心からまったりしたい生粋日本人の私が「なんか映えはもうええわ・・・」って言ってるのも事実。ああこういうところがアンビバレント。
実は先のランチ処で、映えなお弁当はいいけれど、お盆に汁汚れが残ってたり、お茶を持ってきた方はすごくぶっきらぼうだったりした。まあ仕方ない。言葉の通じない外国人とのコミュニケーションに疲れちゃったのか、はたまためちゃくちゃ忙しいのか。。でも同情はするけど共感はできない。神はお盆の隅っこにまで宿ってると期待してしまってる。
旅の楽しみってビジュアル的体験だけだったか?
お宿も素敵でくつろげて良かったけど、なぜかスタッフさんとの会話はほとんどなし。お食事の時に少し話してくれた…かな。基本的にお邪魔はしませんよ、というタイプの宿なんだけれども。基本的にホステラー(死語)あがりの旅人は、宿の人とコミュニケーションしないなんてありえん!とちと寂しくなってしまう。美味しい店や知る人ぞ知るスポットは、地元の人から聞きたいものなんだけどな。
私も仕事柄、クリエイターさんや小さなブランドは、SNSでつながって商品を認知してもらいましょう、という話はめっちゃしています。そこから必ずファンになってくれる人はいるはず、と。
それを忠実にやっていたのが、まさにこの湯布院の商店主たち。もちろん、並んでいた商品は間違いなく美味しかったのですが、「そもそもコミュニケーションって、ビジュアルだけでいいんだっけ?」とふと立ち止まってしまいました。カッコよさ、おしゃれ感、奇をてらった面白さ。それもいいけど湯布院に来た理由ってそれだけじゃないはずなんだよな、と。
以前、斎藤一人さんの講演を聞いたときに、「観光とは、光を観ることです。光とは自然や歴史のことを指しもするけれど、人の中に光を観ることもできる」とおっしゃられていて。
たぶん私の旅の意味合いは、「人に会って話して、その人から土地の横顔を知ったりして。そして心が動いて、その人と出会えたことそのものが光になる」というイメージなんだと思う。
なので、旅の途中にグっとくる人に出会えないと、私にとっての観光地は光り輝かない。それってクリエイターさんも“自分自身が光になること”と、つながっているのかもしれない。映えは“光”を見る手前のきっかけに過ぎないんじゃないかなと。
で、やっぱり最後に“光”に出会えた
…なーんてことを道中二人であーだこだ話しつつ、たまたまメインの商店街から離れた一本裏の道沿いを歩いてたところ。
地元の女性が営む小さなパン屋さんと、若いご夫婦で営むアウトドアセレクトショップに偶然巡り合えたのです!まさに暗闇に光明!うれしい~
空港バスまであと30分だというのに、ショップのご夫婦に今まで湯布院のことで感じてたことを怒涛のように話して、うんうん共感してもらって、めっちゃすっきりした!ありがたすぎる!
ショップの旦那さん曰く。
「メイン通りの商店街は地価も高いから、東京とか福岡の資本が入ってて地元の人も行かないですよ。裏道に入ってきてくれてよかった~。
あともし興味あれば、温泉もいいけど登山はどうですか? 由布岳は初心者でも登れるし、今度靴のレンタルもするのでぜひ。近所にはすてきなホステルが出来たし、次に来たときは最初に必ずウチに寄ってから、湯布院の旅をはじめてくださいね。」
えびすさまみたいな笑顔のご主人、もう涙出るくらい嬉しかった。私のなかで、やっと、光が輝いた。
また来るね、湯布院。。
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