いつのまにかトイレットペーパーの芯を普通に捨てていた話(強迫性障害の話)
はじめに
ものを捨てる時、余計なものまで紛れ込んだ状態で捨ててしまっていないか気になって、ゴミ箱からもう一度取り出してチェックしたりしてませんか?
デスクやテーブルのすぐ横にゴミ箱が置いてあると、何かの表紙にデスクから落ちた大事なものがゴミ箱に入ってしまうのではないかと心配で、ゴミ箱を離れた場所に置いてませんか?
強迫性障害という病気をご存知でしょうか。この病気で有名な症状は、例えばガスの元栓を閉じたかどうかが気になって、一度家から出たのにまた戻って確認することを何十回も繰り返すとか、手をいくら洗っても綺麗に洗えてないような気がして何時間も洗い続け、皮膚がボロボロになってしまうような症状です。
もしかして自分もその病気なのではないか?と思ったら、まずは書籍を読んできちんとした知識をつけてみることをおすすめします。その上で、病院にいく等の対処を考えましょう。書籍はアマゾンでも売ってます。
トイレットペーパーの芯を捨てる
日々強迫観念を身近に感じながら暮らしていると、ある症状がいつのまにか治っていることにふと気がつく瞬間がある。例えばついさっき気がついたのだが、トイレットペーパーの芯を捨てることについて強迫観念が浮かばなくなっていた。
以前は、トイレットペーパーの芯を捨てる時には、芯の内側を覗き込んで何かがくっついてないか確認したり、芯に印刷されている商品番号のようなものを読んだり、芯の周りに少しだけ残っていたペーパーの切れ端を綺麗にはがしたりしていた。
いつからか(と言ってもそれほど昔ではなくせいぜい1年以内だが)、そのような確認行為をしないことにし、芯はそのままゴミ箱に直行して捨てるように努力しはじめた。
最初のうちは気持ちが悪かったはずだ。しかし、今は芯を捨てる時に確認しようという思い自体が一切浮かばなくなっているということにさっきふと気がついた。
それほど自然に芯をそのまま捨てていた!!!
芯以外にも強迫観念に勝てた事例
こんな風に綺麗に強迫観念が浮かばなくなった行動は他にもある。
例えばペットのトイレシートを捨てる時の行動。
ペットがトイレシートに便をした後、それをたたんでビニール袋に入れてゴミ箱に捨てるのだが、以前はシートをたたむときに何か大切なものを一緒に内側にたたみこんでしまったのではないかという強迫観念があった。
そのため、シートをたたむ瞬間、シート上に便以外のもの(小さなホコリ、髪の毛、その他の何か取るに足らないような小さな黒いカスとか)が目に入るとそれが気持ち悪くて、一度シートをたたんだ後にまた広げて確認したりしていた。
なんとか無視しようと頑張ってビニール袋にいれてゴミ箱に捨てた後、やっぱり我慢できなくなって、またゴミ箱からそれを取り出し、ビニール袋から出してシートを広げてチェックしたこともある。
この強迫観念も今は一切浮かばず、本当にスムーズにシートを捨てることができるようになっている。
なんと喜ばしいことなのだろうか。
そしてこのように「普通に」行動を完結できるというのはなんと楽な生活なのだろう!!!
結局は単なる「慣れ」のようなもの?
このように強迫観念が浮かばなくなっていることに気がついて、そんな時に思うのは、強迫行為を治すというのは単なる「慣れ」みたいな単純な話なのかなということ。
そもそも強迫性障害自体が、強迫行為を続けているうちにそれが習慣になってしまい、そこから抜け出せなくなっているというようなところはあるだろう。
つまり治す時は単純にその逆の話で、ある行動をしなくなったら、単にそれをしないこと自体が習慣になって、いつかは何も考えなくてもそれを普通にしているということなのではないだろうか。
以前、何かの本(強迫性障害とは関係ない本)で、精神が行動を変えるものだと思いがちだが、実はその逆もあって、行動しているといつのまにか精神が変わっていることもあるのだという話を読んだことがある。
つまり強迫性障害を治すときもこれと同じことで、行動(強迫行為をしない行動)しているといつのまにか精神(強迫観念が浮かぶ頭の回路)が変わって、浮かばなくなるというものなんじゃないか。
ちょっと格好つけた書き方になってしまってるかもしれないが、要は単なる慣れだということ。
頭の回路が変な方向に向かないように行動して生活していれば、次から次へと強迫観念が浮かぶ対象を減らしていけるのかもしれないなぁと思ったのでした。