会議や人前で話すことがなぜこんなに自分は苦手なのか?

自分は小さい頃から人前で話すことが苦手だ。静寂を突き破って第一声を放つことが苦手だ。息が詰まりそうになるしドモりそうにもなる。なぜなんだろうか。こういう些細な個人的な疑問は誰に聞いてどこでどのように解消すれば良いのだろうか。この世に生を受けてから今に至るまでの間の生活習慣とか生活環境、はたまた両親の教育、出会ってきた友人との関係によるものが大きいのだろうか。
それとも生まれつきの性質においてそこが欠落して生まれてきたのか。もしそうだとするのであれば自分が人生に対して強いモチベーションで向き合い、その道半ば二者以上の選択をしなければいけない状況を自発的に作り出し、どちらか困難な方の道を選ぶと言うような逆張りを積み重ねることによって心を鍛え上げることが出来たのだろうか。
自分の昔のことを思い出しても学校の授業の本読みで読む順番が来るのでさえすごく緊張してたな。なんか呼吸困難になるんじゃないかと言うくらい、その時も息が詰まりそうになっていたな。多少声は震えていたかもしれないがバカに思われたくなかったので必要以上に声をしっかり出すと言うこと意識してて、漢字をしっかり理解していると言うことを示したいと思っていたなぁと。
小学校中学校のサッカーにおいても必要以上に緊張してたなと思う。自分は多分サッカーにおいても僭越ながらそこそこポテンシャルはあったんじゃないかとは思っていたけれど緊張で潰されてたなとふと思うことがある。
このあがり症とゆうものは回を重ねるごとに克服されるものなのか。あらゆる状況下においても、書を捨てよ町へ出ようで解決することなのか、考えるより行動することで解消されるものなのか、地道な積み重ねの上に咲く花なのか。「言うが易し、行うが難し」と言う中国の古い言葉があるくらいだから国を越えてみんなそうなのかもしれない。皆それを克服してきてるのか。克服でき、且つある程度センスも良くプレゼンスを発揮できたものが美談としてメディア等に登場しているのか。
でも時代は変わり今の時代は多様性が叫ばれる時代、自分に合う場所を探してそこに行く方が最適解なのかな。上手く世渡りしていくためには。すべての人間を同じ枠の中に囲って同じ人間を育てようと教育するのはやっぱり時代錯誤だよなと思ったりする。
とりとめのない内容になった。

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