見出し画像

幼少期の思い出と「缶入りお菓子」に込められた魔法

 小さい頃、私は神戸風月堂のゴーフルが大好きだった。実家の向かいにあった、祖父母の家を訪れるたびに、いつも目にするのはあの特別な缶。中にはサクサクとした薄いゴーフルが入っていて、子供の私にとっては宝箱そのものだった。缶を開ける瞬間のワクワク感、そして一枚ずつ食べる楽しみは、今でも鮮明に覚えている。

 幼稚園に通い始めた頃だっただろうか、家族でスーパーマーケットに行ったときに、ふと目にしたクッキーの入った缶に心を奪われた。あの美しいデザイン、そして中にどんなクッキーが入っているのか想像する楽しみ。その時の私は、どうしてもそのクッキー缶が欲しくて、泣きじゃくって両親にねだった。しかし、残念ながらその願いは叶わなかった。あとにも先にも、両親に泣きついて何かをねだったのは、そのクッキーの缶だけだった。

時を超えても変わらない「缶」の魅力

 それから数十年が経った今でも、私は缶に入ったお菓子に特別な思いを抱いている。スーパーマーケットやデパートで缶入りのお菓子を目にすると、自然とその商品に惹かれてしまうのだ。なぜだろう?きっと、幼い頃のあのワクワク感が脳裏に蘇るからだと思う。

 缶入りのお菓子には、ただ中身のお菓子だけでなく、特別な「期待感」と「感動」が詰まっている。缶を開ける前の「何が入っているんだろう?」という楽しみ、そして、実際に開けた瞬間に広がる香りや美しい詰め方に心を躍らせる。どのクッキーから食べようか、どの味が自分のお気に入りだろうかと、一つ一つ手に取りながら、まるで宝探しをしているような気分になる。

 そして、口に入れた瞬間の感動。それは、ただ美味しいお菓子を食べるだけではなく、缶という特別な器に入っていたからこその「物語」が加わることで、より一層特別なものになるのだ。

贈答品としての「缶」の魅力

 今でも私は、プレゼントや贈答品を選ぶときに、缶入りのものを選ぶことが多い。缶の中に何が入っているのか、受け取った人が開けるその瞬間の喜びを想像するのが楽しいからだ。缶入りのお菓子は、ただの食べ物ではなく、その缶自体が贈り物の一部として特別な意味を持つ。

 缶を開けるときのドキドキ感、そしてその中身を味わう楽しさ。プレゼントとして缶入りのお菓子を贈ることで、その体験を相手にプレゼントすることができるのだ。

 さらに、缶は食べ終わった後も使える。美しいデザインの缶は、小物入れやアクセサリーケースとしても活躍する。食べ物の枠を超えた「記憶」として、長く残る存在となるのも缶入りのお菓子の魅力だ。

「玉手箱」としての缶

 私にとって、缶に入ったお菓子は「玉手箱」のようなものだ。中に何が入っているかわからない楽しさと、開けた瞬間の驚き。どんな味が待っているのかと想像を膨らませ、その瞬間を待つのは、まるで子供の頃に戻ったかのような感覚だ。

 そして、それを口に含んだとき、ただの食事以上の感動が広がる。缶はただの入れ物ではなく、そこに詰められたお菓子と共に、「時間」や「思い出」、「期待感」といった、目に見えないものまでも包み込んでいる。だからこそ、私は今でも缶入りのお菓子に強く惹かれてしまうのだろう。

 缶を開けるという行為は、一瞬の出来事でありながら、そこに詰まっているのはその一瞬にとどまらない「物語」なのだ。

まとめ

 幼少期に感じた「缶入りお菓子」の特別な思い出は、大人になった今でも私の心に深く刻まれている。缶を開けるときのワクワク感、そしてその中に詰まった「思い出」が、今でも私にとってかけがえのない宝物となっている。

 これからも、私は缶に入ったお菓子を大切にし、贈るときにもその特別な価値を共有していきたいと思う。缶という玉手箱には、これからも新しい物語が詰まっていくのだろう。

※カバー画像:2023年、新宿にて購入してプレゼントした限定の缶

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?