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伊藤博文の満洲旅行関係件 2

電報 第一◯六号
                    <明治 四十二年 十月 九日>
                       小村 外務大臣
     在奉天 小池 総領事 宛
伊藤樞密院議長は微行(お忍び)で往復三、四週間の予定で滿洲に旅行し、来たる十四日に大磯を出発、十六日に門司出帆の鐵嶺丸で大連に上陸し、北方の哈爾賓まで至って引き返す予定であるが、帰途に安奉線に依る(寄る?)のかどうかは、まだ未定である。
隨員は實田(室田)義文・古谷式部官・鄭書記官・松木少佐・森宮內大臣秘書官・小山御用掛のほか 二、三名である。
旅行中には諸事について便宜を与えるように。
この電文を吉林および哈爾賓を除く満洲の各領事に転電すること。
------< 原文 >------
電報 第一◯六號
                    <明治 四十二年 十月 九日>
                       小村 外務大臣
     在奉天 小池 總領事 앞
伊藤 樞密院議長은 微行으로 往復 三·四週間의 豫定으로 滿洲에 旅行하여 來十四日 大磯發 十六日 門司 出帆의 鐵嶺丸으로 大連 上陸 北方 哈爾賓까지 至하여 引回할 豫定인 바 歸途 安奉線에 依할는지 아닐는지는 아직 未定이다. 隨員은 實田義文·古谷 式部官·鄭 書記官·松木 少佐·森 宮內大臣秘書官·小山 御用掛 外 二·三名이다.
旅行中 諸事 便宜 與하도록 하고자 한다.
右 吉林 齊齊 哈爾賓을 除하고 滿洲 各領事에게 轉電하라.

国史編纂委員会『韓國獨立運動史 資料7』1983年, 1ページ.
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「室田義文」『日本人名大辞典』講談社
室田義文 むろた-よしあや 1847~1938
明治・大正・昭和戦前期の外交官・実業家
弘化4年9月19日生まれ。もと常陸水戸藩士。明治5年に外務省に入職し、釜山領事、初代メキシコ公使などを歴任。1901年(明治34年)貴族院議員、百十銀行頭取、北海道炭礦汽船社長などを歴任する。1909年(明治42年)に清国のハルビン駅頭で狙撃された伊藤博文の満洲旅行に同行しており、死にたちあった。1938年(昭和13)9月5日死去。92歳。

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